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2006年08月31日

防災の日イベント ぜひご参加下さい!!

[ 震災遺産 を 継承しよう ]
~残された最後の近代遺産、元町公園で会いましょう !!

2006 9.1(金) AM11:00~

<第1部> 『いま大地震が来たら・・!?』 AM11:00~
大正12年9月1日 午前11時58分40秒 関東大震災が発生しました。

◆ 場 所 :元町公園(文京区本郷1丁目)
◆ 内 容 :
○大地震に備えて、大切な初期対応や緊急処置の勘どころの情報交換をしましょう。「かまどスツール」など公園緑地に導入可能な最新話題の防災グッズの展示や解説・意見交換も予定しています。
○また、「すいとん汁」など、罹災時の食を通して「避難」についても考えたいと思います。
○元町公園の魅力と価値について、紙芝居形式でどなたにでもよくわかっていただけるように、楽しいお話を企画しています。
地域コミュニティの拠点としてつくられたまちなかの公園は、非常時には防災の要となることも考えられていました。もちろん現在の元町公園も 「一時避難場所」 として地域の方々にはとても大切な場所であり続けています。

<第2部> 『技術文化、生活文化を語る』 PM15:00~17:00
「過去には、その時の最高があった。」
技術は先人の取り組みを礎(いしずえ)として成り立っています。
”そのとき” の ”最新” は、先達の技術や芸術の模倣や読み解きを含んだ最高の提案だったはずです。
公園という、多くの人が自由に集える空間にそれらを辿ります。
技術の文化、生活の文化を語り合い、しっかりと受け継いでいきましょう。

◆ 場 所 :本郷交流館・文京区本郷2-21-7  TEL:03-3815-4415
◆ 内 容 :
○樋渡達也氏 井下清と震災復興小公園づくり
○佐藤憲璋氏 上野真友と復興公園の意義
○伊藤邦衛氏 復興設計の概要と元町公園の意義
○質疑応答・自由討議

■ 主催:(社)日本造園学会関東支部、(社)ランドスケープコンサルタンツ協会関東支部
■ 共催:(財)都市緑化技術開発機構 防災公園普及推進共同研究会、環境緑化新聞社

□主催者からひとこと
1923年(大正12年)200万余人もの罹災者を出した関東大震災から83年が過ぎようとしています。元町公園は、震災復興公園という一つの明確な思想を持って造られた52小公園の一つで、そのうち当時の姿を留める唯一の公園です。
震災復興小公園は次のような特徴を持ってつくられました。
・52公園の配置は、児童の数、校庭の広狭、既設公園の配置などを勘案した、本邦初のきめ細かな工夫の冴える都市計画である。
・最高水準の耐震が施された小学校とセットで設置。公園は、学校の教材園及び運動場補助等の目的を持つ、防災拠点。
・広場を中心に、敷地の40%が植栽地、道路に沿う外周部分は低い鉄柵で容易に出入り可能。
・防火・防音・防塵効果に配慮し常緑樹を、学校教材のために多くの種類の樹木・潅木を使用。
・震災復興の名の下に、公園を近代文化の普及啓発のための展示場として演出。

元町公園は震災復興のシンボルとして建設当時最新の日本近代文化の黎明期のデザインが残されている、きわめて文化的な価値の高い公園でもあります。
文京区では、この震災遺産といえる旧元町小学校と一体となった元町公園を廃止し、体育館等の大規模施設と新しい公園を建設する検討が進められています。
我々ランドスケープアーキテクトは、専門家集団として、新たな提案の手がかりを探るイベントをここに企画しました。
緊急性を要するプロジェクトです。
積極的なご参加をお待ちしております。

みなさん、元町公園で会いましょう。

2006年08月30日

TBS、付録もご覧下さい

みなさま、こんにちは。
TBS 『噂の 東京マガジン』 のサイト http://www.tbs.co.jp/uwasa/20060827/genba.html に飛んだら、 「付録」 というコーナーも、クリックしてみてくださいね。番組ディレクターさんのコメントと写真をみることができます。

2006年08月29日

9/1 ♪元町公園で会いましょう♪ の詳細

以前お知らせした防災の日のイベント。
ランドスケープコンサルタンツ協会さんがメインで行うようです。

私はやっぱり「すいとんの炊き出し」と、伊藤邦衛さんのお話が気になります。
どういう想いで、公園の復原に関わられたのか。復原されていても、調和のとれた美しいデザインですよね。
噂によると、元町公園についての「紙芝居のおじさん」がいらっしゃるらしいですよ。(お昼頃)
かつて関東大震災の起こった日に、明日起こるかもしれない地震や災害に対する備えを万全にいたしましょう。
ぜひご参加を。

11:00~14:30@元町公園
□地元活動家の報告(緊急時の為のお話もあります)
□黙祷 
□「すいとん汁」による昼食(すいとんの炊き出し?!!食べた事ありますかぁ?)
□防災グッズの説明会(ちゃんと揃えてますか?)  
□補修設計者「伊藤邦衛」さんによるツアーガイド園内一周
       当時の記憶と解説・デザイナーとして・専門家として
□第二部のご案内(15時からの予定)


2006年08月29日

元町公園を見に行ってくれた方のコメント

*トウキョーワンダーサイト「本郷」は東京都が運営するギャラリーです。楽しげな散策の様子が窺えますね。ご本人の了解を得て掲載させてもらいました。この周辺は、本当に散策にはぴったりのエリアですよね。

☆☆☆☆☆
この本郷元町公園。気が付かなかったけどトウキョーワンダーサイト「本郷」の目と鼻の先にあった。いつもはお茶の水駅で下車して向かい、そのままお茶の水駅の戻るというパターンだったので分からなかった。ほんの1、2分外堀通りを水道橋に向かった所にある。9月9日からワンダーサイトで展覧会があるので、もし出かける人がいったら是非この公園も訪れて欲しい↓
http://www.tokyo-ws.org/tws.html

しかしこの公園のデザインはやはり面白い。こんなしゃれた滑り台なぞ、どこの公園に行っても見られないだろう。公園を出てお茶の水駅を右手に見て通り過ぎると湯島聖堂。ここも鬱蒼とした木々に囲まれた静寂な空間だ。そして神田明神。神田明神には平将門が祀られている。いわばこの一体は聖地ではないだろうか。元町公園も関東大震災の後に帝都復興の一環として作られたもの。はっきり言おう。この公園を取り壊すようなことをしたら、きっと祟りがあるだろう。

神田明神に来たら天野屋でしょう、ということで一休み。茶店にはクーラーはなく、開け放した窓から涼風が風鈴の音とともに入ってくる。念願だった氷甘酒を注文する。もちろん無色。シロップにはない優しい甘さがある。つついていると糀の小さな粒が現れ、甘さの中に糀の香りが口に拡がる。冬の甘酒は飲んだことがあるけれど、この氷甘酒もなかなかである。500円。

2006年08月28日

区報ぶんきょう 昭和60年4月10日号にも!

さあ、みなさん!!
文京区だって、じつはちゃ~んと、元町公園のこと広報していたのです。
区報ぶんきょう昭和60年4月10日号では、全面をつかったトップ記事です。

下記をクリックして記事を読んだらびっくりしちゃうかも。
驚いた人は、区長にぜひ、電話か公聴はがきで抗議してください。

区報ぶんきょう昭和60年4月10日号

2006年08月28日

昭和60年4月9日山陽新聞

な、な、なんと 山陽新聞 にも 元町公園 の記事を発見
この記事には、文京区公園緑地課の係長さんの談話が掲載されています。
談話の部分のみ、ここに転載しておきましょうね。

 文京区公園緑地課の中村和郎工事係長は 「元町公園は近代公園史上、
 貴重な文化遺産であり、本郷の歴史を見続けてきた生き証人なんです」
 と力説している。

どうです!?
当時の係長さんのお話・・・ 、 嬉しそうなお顔が目に浮かびます。
とっても誇りにしていたのですね。
こんなふうに、胸を張ってお話できる仕事をひとつずつ、積み重ねて生きていきたいものです。

昭和60年4月9日山陽新聞

2006年08月28日

昭和60年4月5日東京新聞

往時の新聞記事の第三弾は、東京新聞です。
東京新聞では、新たにつけ加えられた 「飾り井戸」 や西洋風の雰囲気をだすために導入された植栽(コノテガシワ等)についての記載があります。

昭和60年4月5日東京新聞

2006年08月28日

昭和60年4月2日読売新聞

往時の新聞記事の第二弾は、読売新聞です。
ここでも、この工事には4千万円がかけられた、と報じられています。また、デザインについては、毎日新聞と同様に、元町公園は ”ドイツ風” と書かれています。

昭和60年4月2日読売新聞

2006年08月28日

昭和60年3月31日毎日新聞

元町公園が、昭和の終わりごろに復原的な整備が施された公園であることは、すでにあちこちで語られてきました。来たる9月1日には、その仕事に大きく関与なさった造園家の伊藤邦衛(いとう くにえ)氏も、久しぶりで元町公園の地に立ち、当時をふりかえるお話をしてくださる予定です。
さて、今日は、昭和60年春、当時おおいに話題となった 元町公園の 「復原的」整備 についての新聞記事のいくつかをみなさんと一緒に読んでみたいと思います。 手元に集まった新聞記事を、日付順にご紹介します。
先ずは、毎日新聞です。
昭和60年3月31日毎日新聞

2006年08月28日

「ぱぱっとかるた・元町公園 」制作中

私たち、「ぱぱっとかるた・元町公園」を制作してます。

元町公園の良さを余す所なく伝えたいと一大発起し、
皆で集まり、句を検討しました。
9/1に一部ご披露できると思います。
イラストは、メンバーのイラストレーター「テラピン濱谷」さんに依頼。
ほのぼの可愛いイラストです。
何てったって美しい元町公園ですもの。
素敵なかるたができること間違いなし。
「元町公園 大かるた大会」開催を目指し、日夜制作中。
皆さん、大会には是非是非参加して下さいね。
乞うご期待!!


2006年08月28日

TBS放映後の元町公園のようす

TBS 『噂の 東京マガジン』 放映(8月27日)後の元町公園に行ってきました。

文京の文化環境を活かす会の有志5人が、番組終了後、 蝉時雨れのなか公園にかけつけ、おいでになった方々にお話を伺った結果を ぱぱっと ご報告します。たてもの応援団にもご協力いただきました。有難うございます。


午後3時~4時30分の1時間半のあいだの来訪者は、55名。

*「テレビを見てきた」という人は、男性・・・34名 女性・・・21名 

*どこから来ましたか?
  板橋、 四ツ谷、 世田谷(2)、 埼玉(2)、 杉並(2)、 三ノ輪、 
  墨田、 千代田(2)、 神田(2)、 川崎(2)、 渋谷、 市ヶ谷、
  成増、 高田馬場、 中野、 築地、 神保町、
  以上、区外から25名で 区内の方は20名。
  聞き取りが出来なかった方は10名。

*来園者は、男性がお一人で写真を撮っていた方が多かったのですが、ご夫婦などカップルでいらしている方もちらほら。

*来園者にお聞きしました。
○地元に住んでいるので幼・小・中・高と元町小学校の校舎へ通った。PTAとしてもきた。中学は一時第4中学校、高校は都立文京、戦後はGHQが使用した時期があった。
○戦時中は後楽園球場(元砲兵工廠)のところが高射砲陣地だったので、爆撃されるおそれがあったため元町小学校に陸軍が入っていた。戦時中、屋上に焼夷弾が落ち、穴があいていた。
○元町小学校の校庭で女子が体育の時は、男子は公園で体育をやった。公園に鉄棒があって逆上がりの練習をした。ここには思い出がいっぱいある。
○整備すればもっときれいな公園になるね。もったいない。
○もう何もかも決定しているのではないか、手遅れではないか。
○役人は建設業者と癒着して、天下りを考えているのかなぁー。
○昭和第一に通っている時、よく遊んだのでなつかしい。
○署名運動に協力します。
○都内が殺伐としてきたからこんな公園は貴重です。
○こんなすてきな公園あったのですね。ぜひ保存してください。
○大阪出身ですが、このあたりには江戸の面影を感じる。大事にしてください。
○区長は文京区の人ですか? こんないい公園をなくすなんて。。。
○緑を一旦無くすと,このように樹木が育つのに100年かかります。
○なぜ北側に移すのでしょうか。お金もかかるでしょ。
○とにかく残すべきです。がんばってください。


元町公園での緊急調査を終えて帰ろうとしたら、藤棚の下にいたホームレスのおじさんが、箒で丁寧に掃除をはじめた。みんな、この公園が好きなんですね。

TBS 『噂の 東京マガジン』 のウェブサイトはこちら。
http://www.tbs.co.jp/uwasa/20060827/genba.html

「新大塚公園を守る会」のウェブサイトはこちら。サイト内、掲示板の激論もご覧ください。 http://sakura.web5.jp/

2006年08月24日

♪元町公園で会いましょう♪

9/1防災の日。なぜこんなに「防災の日」を気にするのか。それは元町公園が関東大震災後の復興時に計画された52小公園のうち、きちんとした形で残る最後の公園、しかも最も美しい公園だからであります。
来年もここでこの日を迎えたい!!私はそう強く思って止みません。

「 防災の日には ♪元町公園で会いましょう♪ 」

企画ももちろん大事です(準備してますヨ)が、私は元町公園を愛する人達で、この公園での想い出や公園の逸話等を語り合いたいと思います。この公園で、小学生だった私は、お隣の昭和第1高校バスケ部のキャプテンらしき方を、ハートマークをした目で見つめていた時期もありました・・・(ませてたなぁ)

何でもよいのです。この公園がなくなってほしくない!という方。なくなるのは仕方ないけれど、想い出はたくさんあるという方などどなたでも、9月1日 午後に、
 「♪元町公園で会いましょう♪」
(白濱)

2006年08月22日

NHK、27日の早朝は文京区教育の森公園へ

新大塚公園を守る会 http://sakura.web5.jp/ の方からご連絡をいただきました。
27日(日)の朝、文京区の教育の森公園(文京区大塚3‐29、地下鉄丸の内線茗荷谷駅徒歩3分)で、NHK 『ラジオ体操』 の全国中継があるのだそうです。(朝、05:30集合で06:00~リハーサルとのこと。)新大塚公園を守る会の有志が TBS 『噂 の東京マガジン』 放映(同日13:00~) の情報を入れた「ビラ」を準備中。ビラ配りのボランティアを大募集中です。詳しくは、新大塚公園を守る会 のサイトに行ってメールアドレスにお問合せください。 朝05:30とは、ぱぱっと会議 もびっくりの集合時間ですね。

なお、27日(日)は、朝09:00~正午には、東京大学農学部(弥生)キャンパスにて 文京区『総合避難訓練』 も開催されます。この 『総合避難訓練』 に関する詳しい情報は、 区報 ぶんきょう 8月10日号 をご覧ください。区内にお住まいの方は、各町会等にお問合せの上、訓練にご参加ください。 とは言うものの、み~んながはりきって集まってしまうと、何と 9万人ほどの区民が東大農学部に押し寄せることになるのだぁ、という話もあります。ま、現実の災害時には、そうなのだろうけど・・・・・ 大丈夫なんだろうか。
とても、不安。

2006年08月21日

お待たせ、『散歩の達人』の発売日です。

先だっての梅雨空の下、元町公園の取材を決行した『散歩の達人』(交通新聞社)の面々。
さてさて、待ちに待った最新号が本日、店頭に並びました。
特集は、「神楽坂、本郷、小石川」です。これまで例えば、本郷というと東大近傍から何とな~く? 根津方面に向かってしまい、なかなか元町公園の辺りがとりあげられなかったのですが、今回は違います。
http://www.kotsu.co.jp/magazine/sanpo/index.html
われらが元町公園の記事は48頁。いえいえ、いくらなんでも全部で48頁もあるわけないでしょ、「帝都復興公園が消える?」という1頁の記事です。
でも、いろいろお散歩できて、一冊580円也。
さぁ、みなさんも本屋さんへGo!!

2006年08月19日

『噂の! 東京マガジン』 ネット局について

8月27日に新大塚公園や元町公園のことをとりあげてくれる TBS 『噂の 東京マガジン』 (日曜午後1時~) は、北海道放送、東北放送、テレビユー山形、テレビユー福島、新潟放送、信越放送、テレビ山梨、静岡放送、北陸放送、長崎放送、南日本放送の12局でネットしているそうです。
全国のお友達、お祖父ちゃん&お祖母ちゃん、お父さん&お母さん、ご兄弟、ご親戚のみなさまにぜひ、お知らせください

2006年08月18日

すごいぞ、コンサル協!

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暑い一日でしたね、みなさん、お元気ですか?

ランドスケープコンサルタンツ協会関東支部の面々による元町公園巡検は、午後3時に集合してたっぷり5時半まで、たいへんな盛り上がり。
井下チームの上野さん、伊藤邦衛さん(本郷給水所公苑の設計もこの人 )など造園界の大先輩たちの仕事ぶりなどもお聞きすることができて、とても楽しい有意義なひとときでした。
今日集まれなかった人、そんなに残念がらなくても大丈夫。
近いうちに、また機会をつくりましょう。
関東支部のみなさんのフットワークの良さとパワーに、大感激いたしました。
こんなに沢山の方々が集まってくださるとは・・・・・。 
すごいぞ、コンサル協!! 

帰り道には小学校の方もぐるっとまわり、ご近所の金毘羅さまにもお参りして、元町公園のことをお願いしてきました。
環境緑化新聞さんも、お疲れさま~。

2006年08月18日

文京区による元町公園都市計画変更について ‐都市計画審議会後の一考察

(この記事は、樋渡達也氏のご協力によってつくられています。)


0.はじめに 
 平成18年7月26日に開催された文京区都市計画審議会(会長は戸沼幸市早大名誉教授)は、文京区が区立元町公園を移設し、体育館を建設する問題について 「今の段階では懸案について賛否をとる状況でない」 と判断し、継続審議を決めた。
 元町公園は震災復興小公園52箇所のうち唯一原型をとどめている公園であり、昭和50年代にその歴史的価値を文京区が認めて復原的整備がおこなわれた経緯のある公園でもあるため、当日の審議は多くの人々の注目を集めていた。

 文京区が提出した今回の都市計画変更の案によれば、この提案はつぎの理由に基づくものとされている。
? 『文京区都市マスタープラン』 (平成8年7月策定)で緑のネットワーク形成をうたった。
? 『文京区緑の基本計画』 (平成11年3月策定)で本地域は緑化重点地区とした。
?本公園は小石川後楽園・東京ドーム・聖堂をむすぶ緑の軸に面している。
?本公園を隣の小学校跡地に移すことにより、誰でも利用しやすい地域に開かれた公園として整備し、防災機能を備えた公園とするとともに、区有地の有効活用と公共施設の適正な配置を図るものである。
?このことにより、緑のネットワークづくりに寄与するとともに、公園の適正な配置を行い、街区公園として区民の厚生に資するものとする。

 しかしながら、審議会の争点は上記の文面には盛られていない 「元町公園の文化的価値」の有無 に集中した。審議会委員である鹿倉泰祐区議の発言を報道した新聞記事によれば 「文京区の文化財保護審議会に議論をかけてほしい。きちんとした見解をもらわないと議論に入れない。」 とある。また、梶島邦江委員(埼玉大学教授)は 「景観という観点からの審議も必要。景観審議会で景観の意義について話し合って欲しい」 といわれたとある。

1.「文化」について 
 今回の都市計画審議会の争点となった 「文化」 についていえば、平成14年12月の閣議は 『文化芸術の振興に関する基本的方針』 を決定した。そこでは、「国民の生活に密着した文化的所産を保護の対象にする」ことが明言され、このことが平成16年5月の文化財保護法の一部改正につながっている。
 この文脈のなかで東京都は史跡等整備検討委員会を設けた。この委員会からは平成16年3月に報告書が提出されているが、そこでは 「近代遺産の保護が急務」 であるとして 「近代の都市計画に基づく公園を登載する」 こととして、具体的には、名勝の部の 1.公園・庭園 において 「詳細調査を実施すべき物件」 の第一として元町公園を上げている。  
 文京区の行政は、このことへの考慮が全く欠落しているといえよう。加えて言うならば、文化庁文化部監修の 『月刊文化財』平成18年4月号 には、文化庁の名勝担当者の論文として 「(今後名勝として指定検討をすべき物件のひとつとして)大正12年の復興を契機として開設された公園」 を上げている現在であることを、文京区はどのように考慮したのであろうか。
 本年4月、国は広島平和公園の平和記念資料館を、戦後建設された建築としては初めて、重要文化財に指定した。近代文化遺産へのまなざしは、すでにそこまで来ている。言葉を変えれば、今保護しなければ永久に失われてしまう近代遺産についての危機感が国をはじめ東京都においてもたかまっているという時代の文脈への配慮が、なされていたかについて大いなる疑問を抱かざるを得ない。

2.「ネットワークづくり」と「公園の適正配置」について
 付議案件の理由にある、今回の位置変更に伴う「ネットワークづくり」と「公園の適正な配置」についても考察してみよう。
文京区では既述の通り、各種の計画を策定し、また東京都とも連携してオープンスペースの事業を展開している。
 東京都が現在展開している 「緑にかかわる計画」 でいうならば次の計画が挙げられよう。
? 『東京らしいみどりをつくる新戦略』 (平成15年10月策定):「東京らしいみどりのかたち」を「物的形態」と「みどりに重ねた人々の営みのかたち」から創出しようというもの。
? 『みどりの新戦略ガイドプラン』 (平成18年1月策定):?の事業誘導施策となるガイドプランで、道路・河川・公園などと都市のみどりづくりを一体にとらえて、「環境軸」のネットワークにより良好な都市環境を形成しようとするもの。
? 『都市計画公園・緑地の整備方針』 (平成18年3月策定):現在決定されている都市計画公園・緑地を、今後いかに計画的・効率的に整備促進するかについて「都市計画公園・緑地の整備方針合同策定検討会議(東京都・特別区・市町)」によりつくられた整備方針。   
   
 では、これらの計画において、元町公園がどのように評価され位置づけられているか。
? 『東京らしいみどりのかたちをつくる新戦略』 においては、文京区は「センターコア再生ゾーン」に含まれており、テーマは
「ア 都市開発にあわせたみどり豊で快適な空間の形成」
「イ 河川沿いや台地上の神社等の緑による連続性の確保(神田川沿い等の台地周辺)」
「ウ 親水性のある緑のオープンスペースの確保」

であって、添付された図面によれば元町公園は拠点のひとつとしてプロットされている。特に、台地の端部の既存樹林の保全が重要である、とされていることがわかる。 
? 『みどりの新戦略ガイドプラン』 が提案する 「環境軸」 は、 「河川のみず」 「それに沿った既存のみどり」 「街づくりにより生み出されるみどり」 などの集積効果を誘導して住みよい都市環境を形成しようとするもので、台地の端部である元町公園の高木等によって構成される既存の樹林がもつ「存在価値」は、きわめて大きいはずである。 
? 『都市計画公園・緑地の整備方針』 は公園整備重要度を具体的に示している。文京区については、次の通りである。
 1 重点化を図るべき公園
  みどりの拠点や軸となるもので、「緑の基本計画」等に位置づけられたもの。
    近隣公園 水道端公園
    総合公園 豊島が丘公園
    風致公園 江戸川公園
 2 重点公園(2015年までに優先的整備をおこなう公園)
    文京区はなし。

 以上の東京都による広域的観点から元町公園にもとめられているものは、次の二点に要約されよう。

●「台地端部の既存樹林の存在価値」を活かした「神田川のみどりのネットワーク形成」への寄与。
●「台地端部の既存樹林の景観保全」による「風格あるみどりの都心回廊形成」への寄与。

 したがって、今回審議されようとした都市計画変更の理由にある「みどりのネットワークへの寄与」と「公園の適正な配置」が公園の位置変更により生み出される、という論理は、それ以前の議論や計画の本位に基づかない荒唐無稽なものであるといっても過言ではなかろう。

3.「景観」について
 梶島邦江委員が指摘した 「景観」 について、もう少し検討を加えておこう。
 景観法 が成立したのは平成16年である。文京区の都市マスタープランが策定されて8年後に制定されたものである。いかに先見性ある計画といえども、その後のこのような時代思潮の変化をも読み得ていた、といえるであろうか。
 この法律によりわが国ではじめて景観を正面からとらえた法律が出来た。 景観法 では、国民・事業者・行政の責務が明確となり、国土交通省・文部省・農林水産省など国土の景観にかかわる省庁が境の垣根を低くして生まれた画期的な法律である。そして、この法律を中心となって使うのは地方自治体である。

 神田川沿いの景観計画にはいくつもの自治体が関連するのはいうまでもない。そのため、東京都では東京都景観条例に基づく 『神田川景観基本軸計画』 をすでに指定して広域的視点からの景観の連続性を重視した施策を展開してきた。この川筋の景観には江戸以来の人々の生活が色濃く染み込んでいるのが特長である。元町公園の立地は、徳川時代の掘割掘削で生まれた人工の台地端であるが、この場所は、すでに江戸名所図会の 『水道橋 神田上水懸樋』 で明らかなように、自然と人工の妙なる共鳴の風景として有名であった。さらに、近代以降のいわゆるモダン時代には名橋・聖(ひじり)橋が風景を引き立て、いまやN.フォスターが設計した超高層建築(現、(株)加賀電子社屋)も、プラスとマイナス両面で景観に大きく関与している。
 このような歴史の積層した景観においては、それに対応する樹木はそれなりの年輪と風格を必要とする。小石川後楽園の緑、元町公園の緑、神田川沿いの緑、聖堂の緑はそれにふさわしい資格を持っているというべきであろう。例えば、区立総合体育館が入るとされている共同事業者による高層建築物(想定)は、元町公園の既存樹林を切らずに果たしておこなえるのであろうか。
答えは 「最新技術を使えば移植が可能です。」 ということになろう。
であるならば、東京駅丸の内口のロータリーで亭々と茂っていたあのイチョウがいまJRの苗圃でどのような姿になっているかを見てくるがいい。植物学的にはイチョウであっても、もはや風景としてはイチョウではなくなっている。


4.結語
 PFI事業によって実現させようという体育館の計画は、都市におけるこのような様々な文脈の中で 「いかに共存するか」 「できるのか」 から検討すべきではなかろうか。 体育館と公園の一体整備 をうたう以上は必須であろう。現在の地域施設の計画において 「自然軸」 「空間軸」 「生活軸」 「歴史軸」 による多面的な地域の文脈解読は不可欠であり、今回はそれに 「文化財軸」 が大きく参画してきたといわなければならない。これらの解読は、技術者集団のみでは不可能かもしれない。
 文京区が昭和57年に、すでに進んでいた公園改造計画(今見ると今回の提案内容によく似ている)をあえて止めて、復原整備へと転換したのは、芳賀徹氏(元東京大学教授、現京都造形芸術大学学長)の新聞コラムがきっかけであった。文化史家の鋭敏な感性と観察眼による指摘が、この公園の復原を、すでに進んでいた設計作業を中断してまで誘導したのである。
 
 以上のように、この問題は都市計画技術や文化財保護技術だけで解決できる問題ではない。深く未来を洞察できる叡知を集めての検討が必要であろう。
19世紀、ラスキンは著書 『建築の七燈』 のなかで 「過去は未来をつくるためにある」 といった。そして 「われわれは、そのためにも(優れた)建築は残していかなければならない」 と説いた。今、私たちの前には、ラスキンの言葉がある。


2006年08月18日

元町公園の価値について

先月の都市計画審議会(以下、都計審)では、元町公園の 「文化的価値」 「景観」 についての検討をふまえるべきである、ということが大変に大きな課題として、次回の都計審開催までの 「宿題」 となったと理解いたします。(詳しくは当ブログ 「7月26日都市計画審議会傍聴、報告!」 をご参照ください)
景観のことについてはまた後日に述べることとして、今日は 「文化的価値」 についてのお話をしたいと思います。

一回目の都計審では、委員の誰もが「元町公園に何らかの文化的価値がある」ことを認めましたが、それが何であるのか、何をどのように重要と考えればいいのか不明であるとされ、したがって今回の都市計画変更が妥当であるか判断できない、というながれになったわけです。
体育館建設大賛成派とおぼしき議員委員などは、 「カスケード(水階段)」 といった単体の造形物のみを取りざたして 「これを新しくする公園に移設して・・・」 とおっしゃいます。
しかし、そんなことでは、地形の特性を活かしたデザインの結果としての 「カスケード」 の存在、という本来的な意味を継承することはできません。特徴的な造形物をモニュメントとして移設して残すというのは、あまりに狭小な考え方です。
運動広場の部分は、都計審での議論にはまったく上がりませんでした。その後の助役等の発言では、この部分は 「何の価値もない」 と言われているようです。暴言であり、きわめて嘆かわしいことです。
運動広場や憩いの小空間、小さな子供の遊び場、みどりの木陰等々・・・、そういう空間のコンポジションがここに残っていることの重要性に理解を示す気配がないことは、非常に残念です。
かつての小学校という”学び舎”の空間を含んだ全体的な空間コンポジションは、元町公園以外では失われてしまった、つまり元町公園だけが誇ることのできる、現実の空間体験が可能な震災復興小公園のデザイン的価値のひとつです。

元町公園は、まちなかの公園(街区公園)の原点です。
そういう価値評価の検討もあってしかるべきではないでしょうか。
いまでは全国、どこのまちに行っても本当に 「あたりまえに身近にある小さな公園」 の記念すべき 「はじめの一歩」 なのです。

助役・教育長や企画部長の言によれば、文京区は、元町公園の歴史的・文化的価値について、また、景観についての検討を、文化財保護審議会と景観審議会に諮問するつもりは全くない、とのこと。
都市計画審議会を継続審議にした理由、つまり 「宿題」 をやらないで先に進むつもりです。許しがたい愚行です。
そんな行政では、ここが高層ビルになってしまうことを受け入れることは到底できません。区長や助役、その他与党議員の方々など、みなさん口々に、 「歴史性は認める」 と言っています。でも、では、 「何」 を 「どのように」 認めているのでしょう?  「認めている」 というのは、いったいどういう意味なのでしょう? 
7月のはじめに区長あて 「公聴はがき」 にてご質問をいたしましたが、いまだにお返事がいただけません。

元町公園の文化的価値は、ながい年月のなかに織り込まれた人々の利用と思いの積み重ねによって醸成される 「場所性」 にもあります。

以下に添付した 「元町公園のデザインと公園の価値」(東京大学助教授、小野良平) という論考もぜひ、合わせてお読みください(共有サイトの「メッセージ」欄に掲載されていますが、このまま下記をクリック!でOK)。

■元町公園のデザインと公園の価値

 元町公園のデザインについて、カスケード部分を指して、あるいは全体について「イタリア・ルネサンス式」「中世ヨーロッパの」などの説明が散見されます(たとえば区のHP上の紹介や新聞記事など)。誰がこのような説明を始めたのかはわかりませんが、少なくとも井下清さんをはじめ設計に関わった当事者によるこのような説明は、知る限り存在しません。

 また、確かにイタリアの庭園はルネサンス期に発達し、丘陵地に多く作られたため傾斜地を利用した例が多く、階段中央に水を落とすカスケードが特徴であるのも事実です。元町公園の設計者がこうしたイタリアの庭園に着想を得た可能性はもちろんあり得ますが、しかしそれと元町公園に「様式」としてイタリアの庭園様式が採用されているかどうかは別のこととして考えるべきと思います。様式とはさまざまなレベルで空間に現れるものですが、階段と滝の構成といレベルでは似ていても、より細かな造りをみれば決してルネサンス期のものではありません。

 このほかにも元町公園をみるならば、大谷石を貼り付けた入口脇などはライトの帝国ホテル(1923竣工)の影響かもしれませんし、壁泉やパーゴラ、すべり台 あたりはアールデコ、表現主義などのいわゆる「モダニズム」の雰囲気でもあります。私は必ずしもデザイン様式に詳しくないので正しくないかもしれませんが、要は元町公園内の多くの施設が1920年 代のモダンデザイン思潮の中であれこれと工夫されてデザインされているのは確実で、カスケードも着想はイタリア庭園かもしれませんが、これをあくまでモダンデザインとして表現しているとみるべきと思います。

 ですから元町公園は「(イタリア)ルネサンス様式」とは呼ぶべきではなく、あえて「様式」を与えたいのであれば 「震災復興様式」呼ぶしかないという意見もあります。ましてや 「中世」と「ルネサンス」はそもそも相反するので「中世ヨーロッパのイタリア・ルネサンス式」という区の解説は二重に不適切になってしまうので注意が必要です。「イタリア・ルネサンス式」と呼ぶのはイタリア庭園にも、井下さんたちにも両方に失礼かもしれません。  

 しかし、以上のような細かい話よりもより重要なことは、元町公園に限らずある空間の歴史的な価値を語るのに際して、「文化財」 特に「様式」などを強調することが、結果的に歴史的な価値を 「形」の問題に閉じ込めてしまうことの問題です。「イタリア・ルネサンス」などというキャッチーな呼称であればなおのことこの誤解が一人歩きしてしまいます。

 もちろん元町公園の随所にみられる 造形的特徴はこの公園の価値には違いありませんが、それは公園の価値の一側面にすぎません。造形的価値が一人歩きすると、カスケードだけどこかに残せばいいというような、最も不幸な保存・継承の方向性を支持してしまうことにもつながります。

 公園の価値を考えるときには「空間」よりも「場所」として考えるべきと従来考えてきましたが、それ以前に「モノ」じゃなくて「空間」として捉えることすら、なかなか理解されづらいことを審議会の議論を聞いていて痛感しました(審議会最後に会長からはわずかに「空間構成」という言葉を発していただきましたが)。  

 公園は基本的にオープンな土地で施設が所々に配置されているものなので、造形的な面を強調することはどうしても個々の施設のみに目を向かわせることになります。何が大切かといえばカスケード、パーゴラなどの施設そのものよりも、それらがあることによって成り立っている空間です。どうしてもどこが大切なのか具体的に言え、というのなら、それら施設の間にある「何もないころ」こそが大切である、という言い方もできます。これらを捉えることば として「景観」「風景」なども有効なのですが、これもややもする と「良い眺め」に閉じ込められがちなので注意が必要と思います。

 そしてこれら以上に、その空間が積み重ねてきた時間、人々の利用 の蓄積が「場所」としての価値として認められていくことを願いますが、これは合理的な機能さえ満たせばよいという行政の論理から はなかなか理解されないのが現状です。

2006年08月17日

ランドスケープコンサルタンツ協会関東支部

ランドスケープコンサルタンツ協会という団体があります。
この協会の関東支部 http://www.cla-kantou.jp/ のみなさんも、元町公園がなくなってしまうかもしれないという問題について「黙って見過ごすわけにはいかない」と、アクションを起こすべく立ち上がりました。
明日18日(金)の午後3時~現地巡検が行われます。

2006年08月17日

TBS取材風景

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おや? 左の写真のレポーターの方は、かつての番組「よいこ、悪い子、普通の子」の「よしお君」ではないでしょうか?(皆さん覚えてます?) 取材中、さすがに皆さん少々照れくさそう・・。27日の放映が楽しみです。1時からですよ~。
元町公園周辺の皆様!文京区の皆様!この番組を見て、「身近でこんなことが起こっているんだ」をぜひご確認下さい。

2006年08月16日

TBSテレビ

台風の影響で順延となっていた TBS 『噂の東京マガジン』 の取材・収録が、本日午後3時~行われました。直前に激しい夕立に見舞われましたが、撮影開始とともに上がりました。
公園ご近所の方々と元一会会長さんがちょっぴり照れくさそうに、でも、雄弁に語っておられました。
まるで熱帯雨林のような湿度のためにレンズが何度も曇ってしまい、カメラマンさんは大変そう。また、音を取るのも簡単ではないのだなあと感心しました。外堀通りに面したメインエントランス辺りでは絵としては良くても、車と電車の音が人の話し声にかぶってしまうのでしょう。比較的音の静かな建部坂に面した入り口部分でのインタビューとなっていました。
レポータは、山口良一さん。

今日の取材と収録は新大塚公園と元町公園を対象にして行われました。
10日(木)には文京区役所の取材も済ませてあるそうです。
公園の東側に建つビルの屋上からも撮影していましたよ。
神田川を含めて、本郷台地の先っぽにある、という元町公園の立地がよくわかる面白い絵が撮れたことでしょう。楽しみですね。
先週収録された、陣内秀信教授(法政大学)のコメント等も合わせて編集され、番組は、今月最後の日曜日である27日の午後1時~の放映予定です。

ぱぱっと 現場に駆けつけてインタビュー風景の写真を撮りましたので、近日中に掲載します。

おまけのお話ですが、今日の元町公園には、カタツムリがい~っぱい いましたよ。
そういえば、初夏からアゲハチョウも数種類見かけます。
セミもたくさん鳴いています。小さな抜け殻が門柱や塀に、しがみついています。長~い年月、ここにはこうして土の地面と植物があるんだものなあ。
虫取り網とカゴを持った親子連れもお見かけいたしました。
ああ、夏休み

2006年08月11日

雑誌『日経アーキテクチュア』記事

『日経アーキテクチュア』2006年8月14日付けの最新号に、元町公園の記事が載っています。
この記事の全文は、同誌のウェブサイトで読むことができます。

http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/free/NEWS/20060721/130704/

2006年08月11日

新聞記事

8月10日付け東京新聞に区側が取材に応じた記事が載りました。
東京新聞の記事はhttp://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20060811/lcl_____tko_____000.shtmlで見られます。

2006年08月09日

新聞記事

8月8日(火)の東京新聞朝刊に、文京区文化財保護審議会「有志」による元町公園&旧元町小学校の現地検分の記事が、写真入りで掲載されています。
東京新聞の掲載ページはhttp://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20060808/lcl_____tko_____002.shtml

2006年08月09日

ぱぱっと歌留多 ワークショップ

今からでもまだ、間に合う?!
本夕19時から元町公園の魅力を満載した歌留多づくりのワークショップとぱぱっと会議を開催します。急なお知らせでごめんなさ~い。
集合場所は、下記まで今すぐ、お電話を。
ただ今現在、元町公園にてパークツアーやってます!


連絡先:080-30057856(本日のみ)

2006年08月07日

文化財保護審議会「有志」による「私的」現地検分、速報!

 今日8月7日、午後2時から文化財保護審議会「有志」の「私的」現地検分が実施されました。

 昼下がりの暑い最中にもかかわらず、集まった委員は、中村ひろ子氏(神奈川大学、民俗)をはじめ5名(大正大学の林克勝氏と副島弘道氏は欠席)。委員「有志」による「私的な」調査ということだったのだが、そこには文京区の職員も4名も集まっていた。文京ふるさと歴史館学芸員の川口氏の参加はうなずけるが、教育推進部部長佐藤氏・同庶務課課長原口氏・同文化財保護係係長青木氏が揃っておいでとは、「勝手なことをされては困る」ということであろうか。これら直接・間接の関係者計9名のほか、「陪席者」として建築・造園・都市計画の分野から各1名ずつの学識者と新聞記者1名…つまり、本日の巡検はなんと、総勢13名の大グループ!

●公園カスケード下のパーゴラにて
 先ずは、中村ひろ子審議会会長と川口学芸員から概況の説明があり、続いて内田青蔵委員(埼玉大学、建築)とT氏(日本大学、建築)より復興小学校ならびに復興小公園の意義について詳しい解説がなされた。耐震構造や衛生設備など、小学校建築に当時の最新技術が搭載されたことの意味、また、小公園と小学校がセットで配備された当時の都市計画の斬新さ、そして区画整理事業という手法で生み出された新しいまちづくり…それらの全てが、ここ元町公園と旧元町小学校において実際の空間として体験できるかたちで残っていることの素晴らしさが伝わる興味深いお話であった。元町公園と旧元町小学校が、近代から現代という時代をつなぐ「生きた語り部」であることを一同で共感したひと時である。
 
 その後を受けて、藤井英二郎委員(千葉大学、造園)から開園当時の公園の写真資料や昭和60年に竣工した復原的整備の概説などがあり、K氏(慶応大学、都市計画)ら陪席者を交えての質疑応答となった。以下はその主な内容である。

・東京都からの指定文化財への打診に関する経緯と事実関係の確認について:中村ひろ子会長からの質問を受けてK氏(東京大学、造園)が答えようとすると、課長から横槍が入り、一同、しばし唖然とした後、「プライベートな集まりなのですから、発言を制止するというのはどういうものか。」と、会長や谷川委員(早稲田大学、考古)などから逆にきびしく苦言される一幕も。が結局、平成16年以降、文京区からは正式な回答はしていないということ、その後一切この件に関しては東京都と接触していない、というこれまでの区の説明が原口課長から繰り返されたにとどまった。課長は、平成16年当時は体育館移設の話はなかったと述べたが、平成16年以降文京区が正式な回答をしていないということについて委員から、責任の欠如を問題視する意見も発せられた。また、東京都がその後も指定文化財にする意向を持ち続けているかどうかについては都に確認する必要があるだろう、 という意見も出された。

・復興小公園と復興小学校の残存状況について詳細な調査の必要があるという見解が共有された:文京区内さらには旧市内の52箇所について、小学校と公園の配備関係、原状を保ったものがどの程度あるか、公園と小学校の残存状況など、52小公園全体のなかで比較考察する視点が不可欠であるため、すべての震災復興小公園の成立・変遷・現状についての正確な調査の必要があることが確認された。

・震災復興小公園の重要な特徴が、小学校との「対(セット)」にあること、元町公園のケースはそれが空間構成として厳然と残っていることの希少性を十分 に考慮したい、という意見が出された。公園のみならず是非、小学校と対(セット)で文化財として検討する必要があるのではないか、という課題が投げかけられ、共有された。

●元町公園検分
 中村会長の提案にて、調査は外堀通りに面したメインエントランスから始められた。

・門柱や階段の意匠、銘碑についての質疑。

・カスケードなど水を用いた施設について:水の流れを復旧することは可能か、仕上げの修復状況などの質疑:流れについては、みどり公園課が水栓を止めているだけですぐにでも使用可能であることが判明。カスケードは躯体がオリジナルであること、修復の丁寧な仕事ぶり、技術の確かさについて話が盛り上がる。

・カスケードが水飲みと一体的に設計されたものであったことへの関心。

・燈籠や公園柵など、オリジナルと復旧部分、修復についての質疑。

・昭和60年の復原的整備についての質疑:聞き取り調査など情報収集や設計がどのような状況で実施されたのかなど。

・かつての園丁詰所および園丁の役割についての質疑。

・トイレも旧のままか(吹きつけタイル他改修以前は?)などの質疑。

・昭和初期、小公園に水洗トイレが完備されたことの意味、斬新さについての質疑。

・校舎と公園の位置関係への関心(かつての正面は公園側であった)、正門らしき門柱の存在(写真のみで現存せず)への注目。

・東側遊具および水飲みの原状に関心。

・滑り台と砂場など遊具の修復状況のついての質疑。

・滑り台と砂場の表現主義・分離派的意匠への関心。

・子供たちの間で語られていた「都市伝説」について:地下大トンネルの話などへの関心。

・公園地下に防空壕が掘られていたことについての質疑。

・植栽の変遷についての質疑。

・思いのほか園内の掃除が行き届いていることについての質疑:箒の刷毛目がくっきり残るほどの美しさに委員一同驚く。係員が毎朝、丁寧に仕事をしていることについてなどの報告があった。

・外堀通り沿いのコンクリート擁壁についての質疑:都立工芸高校まで同質の景観が連続していたことなどが御茶ノ水の昌平坂の景観との対比・関連性について。

・松平家、旗本屋敷など近代以前~以降の土地利用の特長についての質疑:都立工芸高校の前身が西洋家具等の職人養成学校であったことなどの話題に端を発して。また、谷川委員や宮崎委員(東京大学史料編纂所)らが氷室や麹室など地下(地中)の状況についての盛んな質疑。

・神田川(風致地区)との景観的つながりについての質疑:とくに眺望のよさについて「眺めてよし」「眺められてよし」という立地が選ばれていることの重要性と 特異性(52小公園中)について調査する必要があることが強調された。

●旧元町小学校検分
 誰からともなく、「せっかく来たのだから、小学校も是非みたい」という声があがり、仮校舎として文京区と賃貸契約を結んでいる東京田中千代服飾専門学校の承諾を得て急遽、旧元町小学校も巡検することになった(教育推進部の3名が阻止する間もなく一同は旧元町小学校へ)。

・廊下や手すりなど木部材、人造石研出しの階段室腰、手洗場などが旧状を良く保つことに関心。

・廊下や昇降口のつくりについて、広さや仕事の丁寧さ、また維持管理のよさに関心。

・サッシ部、ガラス、梁に関心。

・体育館もご厚意によって見学することができ、屋根の架構や鉄骨架構基部の装飾的被覆などの細部に関心。

・体育館側廊下(腰タイル)、裏動線階段の仕上、受付の割付など細部にもたかい関心。

・理科室?、裏手の小プールの造作について四谷第五小学校との関連性が示唆される点が質疑。

・小学校プールの造営年代、運動場の改修などについて質疑。

・セントラルヒーティングの煙突について、カットされた年代について関心。

・ボイラー室の有無について質疑。

 要所要所で交わされた意見でとくに印象的だったのは、「旧元町小学校は、他の復興小学校と比べると、派手さはないが、さっぱりとした品格と創意工夫にあふれている」という感想だ。その後、委員・区職員と陪席者は正面玄関外にて解散。


付記1:東京田中千代服飾専門学校のO氏は、委員のみなさんが建物の見学をお願いに行くと、最初はとても困った顔をしていました。どうやら、7月24日の緊急シンポジウム「モダンがまちにやって来た!」の後、区の人に叱られたようです。
 O氏は、「いや、でもね、大丈夫だから。気にしないで下さいね。」と、ご迷惑をかけたことについてお詫びするしか出来ない「わたし」に、優しい言葉をかけて下さるのでした。賃貸契約の内容にはないこと(イベントに貸したりしたことかな?)を勝手にやったりしては困る…といった苦情をいわれたのでしょうか。O氏だけでなく東京田中千代服飾専門学校のみなさんが、この小学校をとても大切にいとおしく思っておられる。それは、いつ来ても温かい笑顔で迎えて下さることと、掃除の行き届いた気持ちのよい空気から実感できます。今日の唐突なお願いに対しても、東京田中千代服飾専門学校のみなさんは、「この建物の文化的・歴史的価値について審議する委員さんたちがぜひ、見たいと言っているのだから」、「この小学校への恩返しである」と、言ってくださった。「(叱られちゃってはいるけど、)今日は区の人も4名も一緒に来ているのだからよろしかろう、かね。」ということにしてくださった。
機知に富むご英断に、心から感謝いたします。

付記2:検分の後、委員有志のみなさんは1時間半くらいかけて今後の対応策について検討した、とのこと。
 その結果、先ずは文京区長宛てに、文化財審議委員会あるいは審議委員有志として要望書を提出することに着手するそうです。正式な諮問事案となるように事務局(教育推進部?)から働きかけてはもらえないのか、という問いかけに対して、部長は「それは不可能」の一点張り。しかたがないので、都計審から文化財保護審議会の開催を要請してもらうようにはできないか等、検討しているとのことです。 後で知ったのですが、旧小学校だけでなくこれまで未公開だった体育館まで検分させることを阻止できなかった部下を上司が、現場で厳しく叱っていたのだそうです。しかし、その後この件に関しては本日の検分参加委員全員から強い抗議と叱責があったとも聞く:「区長や他局からの圧力云々でどうこう言うことよりも先ず、自らの本来任務と職責にしたがって毅然とした取り組み姿勢を貫くべきではないか!」 と。

付記3:文化財保護審議会の委員は、繰り返し次のように説明されているそうです。「地元の方々が、往時の構成を残してくれれば移設してもよいとの意見であると度々言っておりますので…」 ああ、何たることか。ここでもまた、要望の一部が都合よく切り刻まれて「地元の声」がねじ曲げられています。
 委員の有志と力を合わせて今後も、元町公園が今の場所にあり続けることそのことに意義があること、そしてカスケードや壁泉を移設するということでは、何の意味もないということをみなさん一人ひとりの心に届くように、語り合っていかなければならない。
 ではまた、元町公園で会いましょう。

以上

2006年08月07日

新公園がヒートアイランド緩和、はナンセンス!

「新しい公園がヒートアイランド緩和に貢献するという論理は乱暴である。」「高層建築の北側に公園をつくるというプランが、現状を改善するとは言い難い。」
これは、都市気象学の専門家J・バウミュラー博士のコメントです。

8月5日(土)、
「ヒートアイランド対策国際ワークショップ(サステナブル建築世界会議東京大会、主催:国土交通省・国際エネルギー機関)」 
http://www.iibh.org/uhi.files/uhi_index_j.htmのために来日中のユルゲン・バウミュラー博士に、元町公園の都市計画変更の問題についてコメントを求めました。

バウミュラー博士は、シュツットガルト市(ドイツ)都市環境部のディレクターで、盆地のまちシュツットガルトの都市計画に「風の道」や「グリーンルーフ」等の導入を積極的にすすめて大きな成果をあげている、理論と実践の第一人者です。
過密なスケジュールの中で面談をお願いしたので、残念ながら現地に足を運んでいただく時間がとれませんでした。そこで、Google Map(地図と衛星・航空写真)やカシミール3D(3D地図ソフト)等を駆使して元町公園の立地について検討していただくことに。

博士の専門分野に即したコメントをいただきたかったため、元町公園の歴史・文化的背景については一切解説しませんでした。
文京区の都市計画変更については、高層建築と新公園の一体整備をうたう文京区の基本方針(新しい体育館は共同事業者が建てる高層ビルの中に組み込まれること、体育館用地は現公園であること、外堀通り側は容積率500%であること、新しい公園は体育館の北側に当たる旧小学校を壊した後につくられる計画であること等々)をお話しました。

バウミュラー博士が議論の最初の段階からもっとも注目したのは、現在の元町公園の立地。つまり、元町公園が神田川沿いにひらけた唯一の(まとまった大きさの)オープンスペースであること。「この場所を巨大な建造物で塞いでしまうことは、良い選択ではありません。神田川のうえをながれる気流は、ここからまちの内側へ導かれる状態になっています。このオープンスペース(元町公園)の存在は、新鮮な空気のながれを担保する上で大変に重要です。」と述べ、「新しい公園が河川沿いに建つことになる高層建築の背後というのは、その建築によほどの(風のながれに対する)工夫がないと、良い公園にはなり得ないでしょう。」と、今後のプロポーザル・コンペの難しさを示唆するご意見。また、樹木のヒートアイランド緩和効果については、「新たに植栽される若木がそういう効果を発揮するようになるには、相当の年月が必要です。その意味から判断して、現在の成熟した緑陰が果たしている心理的かつ実質的効果と比較すると新しい公園の建設がヒートアイランドを緩和するという(文京区の)論は、まったくナンセンスです。」とコメントして下さいました。

2006年08月06日

わたしの意見 発展的継続のおしらせ

7月26日の都計審までの間、「わたしの意見」というカテゴリーで縦覧期間中の意見書などをご紹介してきました。
ご愛読ありがとうございます。
本日から「わたしの意見」は、リローデッド つまり、いろいろな方々のこれまでのご意見や論考の「再登載」、そして新たなコメント、論考、アイデアなどを載せていくコーナーにしてさらに、育てていきたいと思います。
引き続き、ご愛読ください。
 

2006年08月04日

文化財保護審議会傍聴、行ってきました!

 ひとしお暑さが増し始めた朝のシビックセンターに、文京区文化財保護審議会の傍聴に行ってきました。委員の方々の発言も外の気温に負けず劣らず熱かったです。
 教育委員会からは諮問をするつもりはないので、文化財保護審議会での正式な審議とはならない、との脅し(?)にもかかわらず、懇談会を開いてでも元町公園と旧元町小学校の文化財的価値を検討すべきだ、とのご意見も出ていました。
 今回も正式な議事録が区によってまとめられるでしょうから、正確な内容はそちらをご覧下さい。まずは、ぱぱっと速報です。

2006年8月4日 文京区文化財保護審議会 午前10時~12時
       於:文京区シビックセンター20階教育委員会室

 今年度最初の審議会のようで、まずは委員の方々への委嘱状交付から始まった。
 続いて、型通りに教育推進部長挨拶、委員の方々と事務局の方々の自己紹介、会長と副会長の選出が行われる。
 本日の議題としては、ふるさと歴史館所蔵の「富士構」関係資料と日本女子大学の明治期の二棟の木造建築物に対する文京区文化財指定について、前者は報告、後者は諮問という形で話し合われた。

 報告事項のなかで、最初の案件は、区内在住の方が重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けることになった、という話。内田委員(埼玉大学教授)の質問により、文京区ではそういう方が区内で活動なさっていることを的確には認識していなかったことが判明。今後は、まずは区報とケーブルテレビで紹介をしていくと回答。重ねて内田委員より、区を越えたところで貴重な人やものが、区内に存在しているということをきちんと調査把握して欲しいとの要望が出された。中村会長(神奈川大学教授)からも情報を集めて目配りをするよう諭される。関連して谷川委員(早稲田大学教授)から、港区で近世建物の悉皆調査を実施した際、予想よりも多くの物件が確認されたようで、文京区でも都の調査に協力をするなどといってないで区独自に調査をするぐらいのことでお願いしたい、との話。
 続いて、昨年度実績報告。どうやら今年度から「ふるさと歴史館」がアカデミー推進課に改組になったようで、今まで教育委員会で実施していた様々な事業がアカデミー推進課の担当に変わることになるようだ。今年度からは、文化財普及については「ふるさと歴史館」が中心に活動をする。例えば、今までの教育委員会による「史跡さんぽ」も「史跡めぐり」として内容がいろいろと変わってくるらしい。来年の2月には「文京まち再発見2」として比較的新しい建物も含めて文京の名建築を紹介する企画がある。

 最後に「その他」という項目のもとに、文京歴史的建物の活用を考える会(たてもの応援団)からの要望書が参考資料として委員に配布された。この要望書は先月26日の都市計画審議会の内容をうけ、元町公園と旧元町小学校の文化財的価値について、文京区文化財保護審議会で審議をしてもらえないか、というもの。まず、原口庶務課長から、この要望書を配布したのはあくまで参考資料であり、正式に審議をするには教育委員会からの諮問をする必要があること、体育館の建替えが急務であること、区政全体を見渡した中の判断で計画をすすめたいことなどが説明された。
 唐突な資料配布であったため、委員の方々の間でまずは情報を整理する必要があった。まず造園の専門の藤井委員(千葉大学教授)から説明がなされた。元町公園と旧元町小学校は震災復興の際、昭和のはじめにつくられたもので共に震災復興当時の状態が良く残されていること、特に元町公園は他には残されていない貴重な事例であること、20年ほど前に文京区も公園の復原工事をしており当時のメルクマールとしてしっかりと記録に留めようという意志があったこと、公園の特徴は神田川を見晴らす高台にあり、その地形をいかしていることが重要なポイントである、その傾斜地を活かしたカスケードなどもあり、デザイン的にも優れたものであることを説明。別な用途に変えることは大問題であり、文京区には壊さないことを希望する、と説明。続いて建築の専門の内田委員は、小学校も震災後の災害シェルターとしての機能を持たせた鉄筋コンクリート造のものであり、校庭と一緒に公園を利用するなどとてもよく考えられたもの、市民の新しい都市生活の拠点であったことを説明。当時のものがとてもよく残っているので個人的には残すことも重要であると思うと語った。その他写真資料などはないのか、との中村会長からの希望で文京区側が用意したのは、以前「ふるさと歴史館」で開かれた「文京まち再発見」のカタログ、見開き2ページの写真と図面だった。
 中村会長からの文化財保護審議会としては何ができるだろうか、との問いかけに、内田委員は、文化財的価値を判断することだろう、造園学会や建築学会からの要望書を資料として見せてもらいたいと発言。藤井委員からは都や国のレベルでも元町公園の文化財的価値を取り上げる動きがある、と示唆された。これに対し、原口課長は、教育委員会として正式に諮問をすることはできない、このように報告という形を取ったので意見を聞くことはできる、と述べる。
 副島委員(大正大学教授)から、文京区は要望書を受け取ってどのように回答をしたのか、との質問あり。まだ回答は出していないが、公益性と区からの計画が出ていることを考慮して、諮問はしない方針である、よって審議会の正式な議題にはならないと課長の回答。これをうけて谷川委員が、通常の審議会でも円滑に進めるために諮問の前に話題が提供されるのは普通のことであるとして、それよりも、今回のことでは、近代の庭園をどのように文京区が取り扱うのか、ということを問われているのだ、条令を楯にとって審議できないうんぬんではなく、文化財保護審議会委員による「懇談会」などの形をとって真剣に議論すべきものだ、と述べる。原口課長、通常は文化財指定の際は所有者からの依頼で検討をする、今回は文京区の所有でもあり、区全体の立場からは厳しい状況。区としてはプロポーザルの中で歴史性を考慮すると言う条件を入れるということで考えている。佐藤教育推進部長から、議論を封じてしまうような原口課長の言い方に誤解をして欲しくないとひとこと。町会からも歴史的経過などに配慮して欲しいといわれているので歴史性を継承するようにきちんと考えたい。
 内田委員からのコメントは、文化財的価値があるのであれば、そのことには少なくとも言及したい、どうしても壊す場合にはその壊し方や記録の残し方を検討すべきである。
 藤井委員は、移設を検討しているようだが、公園は地形や場所と切り離せないもの、移設を前提に話をするものではない、どこまでどういった体育館を建てるかなど、そこを含めてきちんと設計をするべきだ、区全体の状況を斟酌して考えるということは文化財保護審議会の存在意義にかかわるのでできない、行政の文化財担当としての事務局の方々も同じ立場のはずだ、との意見。
 中村会長から、計画についてということではなく、文化財保護の立場から文化財的価値を考える場である、もし審議がだめなら見識として出せるか。谷川委員、事務局との調整が必要そうだ。宮崎委員(東京大学教授)、文化財的価値の議論はするべき。
 内田委員と藤井委員から、少なくとも審議会の委員の方々に現地を見ていただくのはどうかとの話が出て、審議会後に日程調整をすることになった。中村会長から、文化財保護審議会がどうあろうと、計画は進むのですよね、との質問。(委員などから、8月末に次の都市計画審議会らしい、との話をうけて)事務局側から、まだ案として出されているだけのようだ、との回答。
 中村会長、区の文化財であることは確かなようだ、これからの文化遺産を考える上でも重要なことなので、共有財産としての情報にすることに意味があるだろう、審議会として何らかの回答を出さざるを得ないだろう、との発言でまとめとなる。

 (審議会後の日程調整で8月7日に有志の委員の方々が元町公園と旧元町小学校を視察することになったそうです。)

以上

2006年08月03日

文化財保護審議会を傍聴しよう!

 明日、8月4日(金)朝の10:00から文化財保護審議会が開催されます。

 先週の都市計画審議会閉会時に、戸沼(とぬま)会長が「事務局と検討して、文化財審議会と景観審議会に諮るよう区長に・・・」というご発言をなさいました。
 
 元町公園は、ほんとうに、文化財に関する諮問機関でちゃんと検討されていくのでしょうか。それとも、杜撰に扱われたまま葬り去られて、 体育館と称する高層ビルの建設用地にされてしまうのでしょうか。先ずは、明日の様子をみんなで見に行きましょう!  
 会場は、シビックセンター(文京区庁舎)20階の教育委員会室です。
10時少し前に会場に来てくださいね。文化財保護審議会に傍聴人が現るというのは前代未聞のことのようですよ。何だかわくわくしますね。みんなで文京区の歴史を塗り替えに行きましょう。千葉大学教授、藤井先生にエールを送りましょう。

2006年08月02日

新聞記事

環境緑化新聞に元町公園の記事が掲載されました。今日手元に届きました。送っていただいてありがとうございます。縦にながながとしたなかなか立派な記事です。ただし、文京区都市計画審議会の日付が間違ってる。このブログをご覧の皆様はよくご存知の通り、7月26日に開催されたのですよね。

2006年08月01日

次回ぱぱっと会議

次回ぱぱっと会議は、あさって8月3日(木)朝7時~8時。

仕事の前に ぱぱっと 顔を合わせましょう。
今回は、夏休み? お楽しみ企画 などのアイデアを出し合います。
朝の元町公園も、昼休みどきに負けないくらい、
けっこう常連さんで賑わってます。
それでは、いつものように雨天決で、集合~。