« 新公園がヒートアイランド緩和、はナンセンス! | メイン | ぱぱっと歌留多 ワークショップ »

2006年08月07日

文化財保護審議会「有志」による「私的」現地検分、速報!

 今日8月7日、午後2時から文化財保護審議会「有志」の「私的」現地検分が実施されました。

 昼下がりの暑い最中にもかかわらず、集まった委員は、中村ひろ子氏(神奈川大学、民俗)をはじめ5名(大正大学の林克勝氏と副島弘道氏は欠席)。委員「有志」による「私的な」調査ということだったのだが、そこには文京区の職員も4名も集まっていた。文京ふるさと歴史館学芸員の川口氏の参加はうなずけるが、教育推進部部長佐藤氏・同庶務課課長原口氏・同文化財保護係係長青木氏が揃っておいでとは、「勝手なことをされては困る」ということであろうか。これら直接・間接の関係者計9名のほか、「陪席者」として建築・造園・都市計画の分野から各1名ずつの学識者と新聞記者1名…つまり、本日の巡検はなんと、総勢13名の大グループ!

●公園カスケード下のパーゴラにて
 先ずは、中村ひろ子審議会会長と川口学芸員から概況の説明があり、続いて内田青蔵委員(埼玉大学、建築)とT氏(日本大学、建築)より復興小学校ならびに復興小公園の意義について詳しい解説がなされた。耐震構造や衛生設備など、小学校建築に当時の最新技術が搭載されたことの意味、また、小公園と小学校がセットで配備された当時の都市計画の斬新さ、そして区画整理事業という手法で生み出された新しいまちづくり…それらの全てが、ここ元町公園と旧元町小学校において実際の空間として体験できるかたちで残っていることの素晴らしさが伝わる興味深いお話であった。元町公園と旧元町小学校が、近代から現代という時代をつなぐ「生きた語り部」であることを一同で共感したひと時である。
 
 その後を受けて、藤井英二郎委員(千葉大学、造園)から開園当時の公園の写真資料や昭和60年に竣工した復原的整備の概説などがあり、K氏(慶応大学、都市計画)ら陪席者を交えての質疑応答となった。以下はその主な内容である。

・東京都からの指定文化財への打診に関する経緯と事実関係の確認について:中村ひろ子会長からの質問を受けてK氏(東京大学、造園)が答えようとすると、課長から横槍が入り、一同、しばし唖然とした後、「プライベートな集まりなのですから、発言を制止するというのはどういうものか。」と、会長や谷川委員(早稲田大学、考古)などから逆にきびしく苦言される一幕も。が結局、平成16年以降、文京区からは正式な回答はしていないということ、その後一切この件に関しては東京都と接触していない、というこれまでの区の説明が原口課長から繰り返されたにとどまった。課長は、平成16年当時は体育館移設の話はなかったと述べたが、平成16年以降文京区が正式な回答をしていないということについて委員から、責任の欠如を問題視する意見も発せられた。また、東京都がその後も指定文化財にする意向を持ち続けているかどうかについては都に確認する必要があるだろう、 という意見も出された。

・復興小公園と復興小学校の残存状況について詳細な調査の必要があるという見解が共有された:文京区内さらには旧市内の52箇所について、小学校と公園の配備関係、原状を保ったものがどの程度あるか、公園と小学校の残存状況など、52小公園全体のなかで比較考察する視点が不可欠であるため、すべての震災復興小公園の成立・変遷・現状についての正確な調査の必要があることが確認された。

・震災復興小公園の重要な特徴が、小学校との「対(セット)」にあること、元町公園のケースはそれが空間構成として厳然と残っていることの希少性を十分 に考慮したい、という意見が出された。公園のみならず是非、小学校と対(セット)で文化財として検討する必要があるのではないか、という課題が投げかけられ、共有された。

●元町公園検分
 中村会長の提案にて、調査は外堀通りに面したメインエントランスから始められた。

・門柱や階段の意匠、銘碑についての質疑。

・カスケードなど水を用いた施設について:水の流れを復旧することは可能か、仕上げの修復状況などの質疑:流れについては、みどり公園課が水栓を止めているだけですぐにでも使用可能であることが判明。カスケードは躯体がオリジナルであること、修復の丁寧な仕事ぶり、技術の確かさについて話が盛り上がる。

・カスケードが水飲みと一体的に設計されたものであったことへの関心。

・燈籠や公園柵など、オリジナルと復旧部分、修復についての質疑。

・昭和60年の復原的整備についての質疑:聞き取り調査など情報収集や設計がどのような状況で実施されたのかなど。

・かつての園丁詰所および園丁の役割についての質疑。

・トイレも旧のままか(吹きつけタイル他改修以前は?)などの質疑。

・昭和初期、小公園に水洗トイレが完備されたことの意味、斬新さについての質疑。

・校舎と公園の位置関係への関心(かつての正面は公園側であった)、正門らしき門柱の存在(写真のみで現存せず)への注目。

・東側遊具および水飲みの原状に関心。

・滑り台と砂場など遊具の修復状況のついての質疑。

・滑り台と砂場の表現主義・分離派的意匠への関心。

・子供たちの間で語られていた「都市伝説」について:地下大トンネルの話などへの関心。

・公園地下に防空壕が掘られていたことについての質疑。

・植栽の変遷についての質疑。

・思いのほか園内の掃除が行き届いていることについての質疑:箒の刷毛目がくっきり残るほどの美しさに委員一同驚く。係員が毎朝、丁寧に仕事をしていることについてなどの報告があった。

・外堀通り沿いのコンクリート擁壁についての質疑:都立工芸高校まで同質の景観が連続していたことなどが御茶ノ水の昌平坂の景観との対比・関連性について。

・松平家、旗本屋敷など近代以前~以降の土地利用の特長についての質疑:都立工芸高校の前身が西洋家具等の職人養成学校であったことなどの話題に端を発して。また、谷川委員や宮崎委員(東京大学史料編纂所)らが氷室や麹室など地下(地中)の状況についての盛んな質疑。

・神田川(風致地区)との景観的つながりについての質疑:とくに眺望のよさについて「眺めてよし」「眺められてよし」という立地が選ばれていることの重要性と 特異性(52小公園中)について調査する必要があることが強調された。

●旧元町小学校検分
 誰からともなく、「せっかく来たのだから、小学校も是非みたい」という声があがり、仮校舎として文京区と賃貸契約を結んでいる東京田中千代服飾専門学校の承諾を得て急遽、旧元町小学校も巡検することになった(教育推進部の3名が阻止する間もなく一同は旧元町小学校へ)。

・廊下や手すりなど木部材、人造石研出しの階段室腰、手洗場などが旧状を良く保つことに関心。

・廊下や昇降口のつくりについて、広さや仕事の丁寧さ、また維持管理のよさに関心。

・サッシ部、ガラス、梁に関心。

・体育館もご厚意によって見学することができ、屋根の架構や鉄骨架構基部の装飾的被覆などの細部に関心。

・体育館側廊下(腰タイル)、裏動線階段の仕上、受付の割付など細部にもたかい関心。

・理科室?、裏手の小プールの造作について四谷第五小学校との関連性が示唆される点が質疑。

・小学校プールの造営年代、運動場の改修などについて質疑。

・セントラルヒーティングの煙突について、カットされた年代について関心。

・ボイラー室の有無について質疑。

 要所要所で交わされた意見でとくに印象的だったのは、「旧元町小学校は、他の復興小学校と比べると、派手さはないが、さっぱりとした品格と創意工夫にあふれている」という感想だ。その後、委員・区職員と陪席者は正面玄関外にて解散。


付記1:東京田中千代服飾専門学校のO氏は、委員のみなさんが建物の見学をお願いに行くと、最初はとても困った顔をしていました。どうやら、7月24日の緊急シンポジウム「モダンがまちにやって来た!」の後、区の人に叱られたようです。
 O氏は、「いや、でもね、大丈夫だから。気にしないで下さいね。」と、ご迷惑をかけたことについてお詫びするしか出来ない「わたし」に、優しい言葉をかけて下さるのでした。賃貸契約の内容にはないこと(イベントに貸したりしたことかな?)を勝手にやったりしては困る…といった苦情をいわれたのでしょうか。O氏だけでなく東京田中千代服飾専門学校のみなさんが、この小学校をとても大切にいとおしく思っておられる。それは、いつ来ても温かい笑顔で迎えて下さることと、掃除の行き届いた気持ちのよい空気から実感できます。今日の唐突なお願いに対しても、東京田中千代服飾専門学校のみなさんは、「この建物の文化的・歴史的価値について審議する委員さんたちがぜひ、見たいと言っているのだから」、「この小学校への恩返しである」と、言ってくださった。「(叱られちゃってはいるけど、)今日は区の人も4名も一緒に来ているのだからよろしかろう、かね。」ということにしてくださった。
機知に富むご英断に、心から感謝いたします。

付記2:検分の後、委員有志のみなさんは1時間半くらいかけて今後の対応策について検討した、とのこと。
 その結果、先ずは文京区長宛てに、文化財審議委員会あるいは審議委員有志として要望書を提出することに着手するそうです。正式な諮問事案となるように事務局(教育推進部?)から働きかけてはもらえないのか、という問いかけに対して、部長は「それは不可能」の一点張り。しかたがないので、都計審から文化財保護審議会の開催を要請してもらうようにはできないか等、検討しているとのことです。 後で知ったのですが、旧小学校だけでなくこれまで未公開だった体育館まで検分させることを阻止できなかった部下を上司が、現場で厳しく叱っていたのだそうです。しかし、その後この件に関しては本日の検分参加委員全員から強い抗議と叱責があったとも聞く:「区長や他局からの圧力云々でどうこう言うことよりも先ず、自らの本来任務と職責にしたがって毅然とした取り組み姿勢を貫くべきではないか!」 と。

付記3:文化財保護審議会の委員は、繰り返し次のように説明されているそうです。「地元の方々が、往時の構成を残してくれれば移設してもよいとの意見であると度々言っておりますので…」 ああ、何たることか。ここでもまた、要望の一部が都合よく切り刻まれて「地元の声」がねじ曲げられています。
 委員の有志と力を合わせて今後も、元町公園が今の場所にあり続けることそのことに意義があること、そしてカスケードや壁泉を移設するということでは、何の意味もないということをみなさん一人ひとりの心に届くように、語り合っていかなければならない。
 ではまた、元町公園で会いましょう。

以上