本日の一札 「え」
「絵のような、あこがれの異国、公園に。」
【解説】
当時のヨーロッパは、今よりも遙かに遠いあこがれの国。絵本に出てくるような異国のデザインが登場した公園は、まちの自慢の一つでした。
【ひとり言】
「本郷はいい所だよな。品格があるよ」と最近会った方に言われました。私もそう思います。街の品格は歴史により培われます。異国風の元町公園も当然!その重要な一端を担っているのですね。
*画像の無断転載を禁ず。(お詫び)一部画像が見られない状況が続き失礼いたしました。
「絵のような、あこがれの異国、公園に。」
【解説】
当時のヨーロッパは、今よりも遙かに遠いあこがれの国。絵本に出てくるような異国のデザインが登場した公園は、まちの自慢の一つでした。
【ひとり言】
「本郷はいい所だよな。品格があるよ」と最近会った方に言われました。私もそう思います。街の品格は歴史により培われます。異国風の元町公園も当然!その重要な一端を担っているのですね。
*画像の無断転載を禁ず。(お詫び)一部画像が見られない状況が続き失礼いたしました。
「今はなき、児童指導は園丁さん。」
【解説】
園丁さんは、公園の手入れをしたり困りごとの相談にのってくれるおじさんでした。郷里の千葉から送ってくれたといって「ピーナツ」をご馳走してくれた想い出も・・・。
【コメント】
園丁さんという存在は今の時代こそ必要な気がします。この辺り、「千葉のおばさん」が野菜を背中にしょって売りに来てました。美味しい落花生がとても記憶に残っています。
「鬼ごっこ、どろけい、カンケリ、かくれんぼ、斜面は子どものパラダイス。」
【解説】
坂の多い文京区であっても、自由に遊ぶことのできるところは少なかったそうです。斜面の公園は珍しく、ドキドキワクワクでとってもおもしろかったそうです。
【コメント】
やりました、やりました。「どろけいって何?」とご老人に問われました。「泥棒」と「刑事」の鬼ごっこのようなものでしたが、正確なルール、忘れてしまいました。これから良い季節ですねぇ。今度皆でやってみますか?これらは禁止されてませんよね、確か。
【追加コメント】
スクープですっ! 「南国土佐をあとにして」のロケ地は、間違いなく「元町公園」でした。証言者現る・・・実は私の父です。当時の様子を覚えてました。数日前から櫓のようなものが組まれ、「祭りか?」と思っていたら夜中のロケが始まったそうです。ちなみに、青いカーテンがかけられた我が家の2階が数秒ちらっと映ってるらしいです。これは見逃せないっ!!・・・・今回の事がなければ探りあてられなかった記憶の断片ですね。元町公園のおかげです。
*******
「南国土佐をあとにして」
【解説】
小林旭の出世作、映画「南国土佐をあとにして」 クライマックスの乱闘シーンのロケ地?どこだかみんなで探ってみませんか。
*私の親戚がこの事を教えてくれました。皆で慌ててビデオ鑑賞。「ここだぁ」と盛り上がっていたのですが、実は本当のところはわからず。でも若き日の麗しい小林旭とともに、元町ファンには必見映画です。
(画像の無断転載を禁ず)
「やだよ、こわしちゃ、私の公園。保育所もありました」
【解説】
心にしまい込まれた大事な思い出を取り出すには「きっかけ」が必要です。公園には、元町で育った人のたくさんの思い出が詰まっているんです。
*七夕の短冊にこっそり書かれていた想い・・・「やだよ、こわしちゃ、私の公園」。さあ、皆さんもご一緒に!!
「走塁も、おとな顔負け 「パークフレンズ」」
【解説】
元町公園をホームグラウンドにした子供たちの野球チームがありました。その名は「パークフレンズ」。
*「球技を禁ず」サインだらけの最近の公園事情。かつては野球がつなぐ友情もありました。実は我が父が「パークフレンズ」メンバーだったと最近知りました。今回のかるたづくりは、私(や家族)の想い出の扉を開くひとつの鍵となりました。
(画像の無断転載を禁ず)
ぱぱっとかるたの購入をご希望の方は、先ずはメールをお送りください。アドレスは「motomachikaruta」と「@yahoo.co.jp」をつなぎ、タイトルは「かるた購入希望」と明記してください。お返事いたします。お値段は、一箱千円でございます。
「電車から緑の森におしゃれなゲート」
【解説】
神田川の風致地区に連なる元町公園は、中央線の車窓から通勤通学の人もとっても楽しみにしている緑の一つです。
*大変ご無沙汰しました。カルタ続編を再開します。まずはこの札。これを読んでいる方は、明日から中央線水道橋ーお茶の水間で車窓を見ずにはいられなくなります。・・・鬱蒼とした一角って、ほんと癒されますよね。
■ 01月13日初出の一札 「く」 にコメントが追加されました。
「苦心して 復原したのに なぜ壊す」
【解説】
「造園史上極めて貴重」であると文京区では、昭和60年に復元修復しました。当時の広報(昭和60年4月広報ぶんきょう)には「昭和初期へあなたもタイムトリップ」と載っています。
*第1号の句は、このかるたの大事なキーワードでもあります。壊してしまったら、決してもとには戻らないもの・・・お気に入りの豚の貯金箱と元町公園。直して、また壊されようとしている豚の貯金箱が泣いています。
*小学校の校舎の話ですが、ちょっと一言。
校舎の解体費として1億円の予算案が立てられてびっくり。去年の秋まで月額500万円以上の賃貸料を稼いでいた現役の施設なんですよ。各室にエアコンも完備しています。壊すなんて、もったいない。
(画像の無断転載を禁ず)
■ 01月17日初出の 「ら」 にコメントが追加されました。
「落水にモダンの輝きカスケード」
【解説】
本郷台地の水が神田川へ向かって流れていく・・・。カスケード(水の階段)での流れの表現は、それまでには無い、とっても新鮮なものでした。
*元町公園の最大の魅力は、カスケードです。静かに落つる水音・・・・ある意味、日本的で奥ゆかしい情緒も感じられます。この美しい水の流れを、再び目にする日がやって来ますように。
*水道橋のたもとに何年か前にできたステンレス製の飾りがバブリーな「装飾池」は、今では打ち捨てられてゴミだらけ。水も出ていないし、清掃日をお知らせする区の掲示板も雑草に埋もれて情けない限りです。でも、これは確か、神田川の緑と歴史・自然を大事にするってことでつくったのではなかったかしら!?庁舎建設のことで文化庁と東京都に「ごめんなさい」って言った後に罪滅ぼしでつくったのではなかったかしら!?
*現在、コインパーキング(公園の東側)になっているところに昔、金魚屋があったとか。台地の端っこの崖線には、きれいな水が湧くところが多いのです。そんな湧き水を利用して本郷には金魚屋が繁盛していたそうな。今では、「金魚坂」と呼ばれているところが一軒。養魚池にたくさんの種類の金魚を飼っています。夏にはビールをやりながら金魚すくいも楽しめる隠れた(?)名所です。
(画像の無断転載を禁ず)
いよいよ明後日、かるた大会です。当日に向け、鋭意かるた制作中のため、少々間があいてしまいました。
皆さん遊びにいらしてくださいね。
「日本の宝だ!元町公園」
【解説】
我国の公共デザインの一つの原点である震災復興52小公園も、当時の姿を残すのは元町公園だけになってしまいました。「日本の歴史的公園100選」にも選ばれた「お宝」です。
*てづくりカルタの真骨頂。声を大にして言いたい「心の声」も、大事な一札になれます。宝船よ、元町公園に良風を運んで来ておくれ!!
(画像の無断転載を禁ず)
「鳥小屋で、白いオウムが「おたけさん」」
【解説】
誰かが教えた言葉を喋るオウムがいるなど、公園ではまちの公共空間として新しい取り組みがいっぱいありました。
*余談ですが、図鑑マニアの知人によると、古の鳥類図鑑のオウムのところには、「最初に「おたけさん」と覚えさせる」と説明してあったそうです。(へぇ、へぇ、へぇ~)公園のオウムに「おたけさん」を教えた人も、もしやこの図鑑を読んだのでしょうか?!!
私の知る頃にはすでになかった鳥小屋。一体いつ頃まであったのでしょう? 皆さんの頃にはどうでしたか?
*オウムや九官鳥など人間の言葉を喋る鳥に教える言葉は、なぜ「おたけさん」か? 以下、何かで読んだか聞いた話です。
大正~昭和初期、この手の鳥を飼うことが一部の或る程度裕福なおうちで流行り、そういうお宅には、大抵、お手伝いさんがいたそうな。当時のお手伝いさんの名前(通り名)が「おたけさん」だそうで、それをご主人や奥様、子供たちが鳥に教えたのが始まりだ、ということです。
鳥小屋情報など、待ってます。 「アドレスは「motomachikaruta」と「@yahoo.co.jp」をつなぎ、タイトルは「かるたについて」と書いて、メールで教えて下さいね。(画像の無断転載を禁ず)
「壁泉の裏は抜け道?小学校」
【解説】
小学校への秘密の抜け道がある?!という都市伝説です。江戸城からの抜け道がこの辺りに続いていた、という伝統も受け継いでいます。
*先日、この抜け道はどう続いていたのか、真面目に考えてみました。学校・公園、ひとつでふたつ・・・一体的使用から、こうした伝説が生まれたのかもしれませんね。・・・・浪漫ですねぇ・・・。
(画像の無断転載を禁ず)
■01月28日初出の本日の一札「こ」に、コメントが2つ追加されました。
■02月02日初出の本日の一札「り」に、早速コメントが3つも追加されました。
「公園の下には田の字の防空壕。陥没したこともあります」
【解説】
戦時中は、公園の下に田の字型の防空壕が掘られました。今でも西側の斜面には当時の入口跡がくっきりと残っています。
*文京区に住んでる時には全く気づかなかった防空壕入口跡。未知への入口のようで、その場に立つとドキドキします。昭和第一高校側です。現地にいらしたら是非ご覧下さい。ここにも戦争という現実の傷痕が色濃く遺っています。
*「元町公園と元町小学校のところで火が止まり、町が焼けずにすんだのですよ」「戦争が終わって小学校の屋上に上がったら、タイルの上に焼夷弾の痕がいっぱいで怖かったな。屋上から見た夕日がまぶしかった。」というお話をお聞きしたことがあります。
*「子供でしたからね、防空壕の入り口で遠くに見える飛行機や焼夷弾の嵐を見ては興奮して面白がって、母に叱られましたよ。」という思い出もあります。
(画像の無断転載を禁ず)
「理科の授業、生き物観察おまかせあれ」
【解説】
先生に連れられていった公園、大木となった園内の木々、そして草地や低木には、多様な生き物や季節・時の流れとの出会いがあります。
*鳥の話題が出たのでこの一札。都心にあって、いとうらやましきこの環境。後付けで造成される緑地とはくらべものになりません。
*初夏にはいろんなアゲハ蝶がやって来る元町公園。言うまでもなく、夏には蝉も。蝉の幼虫は7年間、土の中で暮らしているのでしたよね、確か。
*雨上がりに行くと、でんでんむしもたくさんいますよ。でんでんむし、ミノムシ、都会ではすっかり姿を消しましたよね。
*虫とのつきあいから、コドモは多くのことを学んで育ちます。残したい元町公園。
(画像の無断転載を禁ず)
「設計は、井下清とスタッフ一同」
井下清(いのしたきよし)氏です。
【解説】
当時の東京市公園課長の井下清指揮下のチームで、世界的にも稀有な事例である52の震災復興小公園計画は作られていきました。
*先日喜寿を迎えた元町公園。その産みの親のご紹介です。震災の惨事に直接触れられた井下先生の願いや、「防災」という単純な言葉だけでは表せない様々な記憶が、この公園には刻み込まれています。井下先生等の大事なお子様、ちゃんとお育ていたさねば・・・。
(画像の無断転載を禁ず)
「天の川、祈りの短冊五百枚」
【解説】
来歴と存続の願いを込めた特製短冊と笹の小枝を道行く人に配り、8本の七夕飾りを立てました。久しぶりに公園での七夕に地元の方々は「東京市歌」を歌ってくれました。造園屋さん、学校法人のご協力に感謝します。
*昨年、ちいさな七夕まつりをいたしました。地元の方もご参加いただき心あたたまる会でした。「元町公園で会う」事ってとても大事だと思います。現地でわずかな時間でも想い出を共有できたら・・・。お近くの皆さん、時々公園に遊びに行く皆さん、1/25(木)お昼頃、「元町公園喜寿のお祝い」で、一緒に名店のお饅頭をいただきませんか。
(画像の無断転載を禁ず)
「鈴掛けは、モダン植栽プラタナス」
【解説】
プラタナスは、当時ではまだ馴染みの浅い珍しい樹木。新しい時代を伝える震災復興小公園では積極的に導入されました。
*元町公園には、プラタナスを含み多くの大木があります。大樹の「気」は癌をも減らすといわれます。私たち人間が生きていく上で、必要なもののひとつに大樹があると思います。なくしたらすぐに戻らないもの・・・これ程大きく育つまでどれだけの時間を経ているのか、考えてみたことありますか。
(画像の無断転載を禁ず)
■01月19日初出の一札 「す」 に、スズカケノキ(プラタナス)の冬姿の写真が追加されました。
■01月23日初出の一札 「あ」 に、七夕飾りの写真が追加されました。
「老いて知る。変わりゆく街、残る風景」
【解説】
変わらずに続いて存在するものを探すのに苦労する変化しつづけるまち。この場所に来てまちを眺めるとホッとする。公園が存在し続ける価値をここに来て感じてほしいんです。
*近すぎて気づかない身近な風景。歳をとり、ちょこっと腰が曲がって足許を見ると、初めてその大事さや美しさを理解できるかもしれません。元町公園からの眺望は、そうした風景や想い出を確認できる大切な窓なのですね。
(画像の無断転載を禁ず)
「モダンがまちにやって来た!」
【解説】
欧風デザインの元町公園もセントラルヒーティングの小学校も我が国最先端のものでした。ものづくりに新しい生活提案への意気込みがあったのです。
*モガ・モボってご存知ですか?ここでは「モダヨ・モダオ」です。日常生活の中に突如現れたモダン・デザインは、未来のまちの姿を予感させる、羨望の存在だったのではないでしょうか。
(画像の無断転載を禁ず)
01月14日づけ 本日の一札「は」 に、コメントが追加されました。
「水運び、消火訓練やりました」
【解説】
公園の広場は、模型に火をつけて、バケツリレーで学校から運んだ水で火を消す防災訓練の会場にもなりました。
*防災ネタが出たのでこの一札。昔は随分大掛かりな防災訓練をしていたのですね。昨年9/1の防災イベントの日。最初にかるたの絵札を皆さんにお披露目したのもこの札でした。防災の歴史をバケツと消化器の握手で表現するなぞ・・・・脱帽です!!
(画像の無断転載を禁ず)
「建部坂、お茶の水坂、壱岐坂通り」
【解説】
東に建部坂(たてべざか)、南にお茶の水坂、西側も坂。元町公園は3方を坂道に囲まれています。
*坂に囲まれているという難しい条件を見事に解決しています。建部坂は私にとって、ローラースケートの滑走路でした(危ないので真似しないでね~)。壱岐坂側は公園の絶壁が聳え立ち、ふと見上げると土手に一面の菜の花畑がありました。絵は「坂道トリオ」です。
(画像の無断転載を禁ず)
「夕暮れは「ごはんですよ」の声で知る」
【解説】
日が暮れるまで元町公園で遊んだ記憶、それこそが子どもたちに伝えていきたい暮らしの一コマ。お父さんもおじいちゃんも「またこの公園」で日が暮れるまで遊びましょう。
*昔はご飯時に親が迎えに来ていました。「夕焼け小焼けで日が暮れて~♪」が流れてくると、寂しい一日の終わりがやってきます。今になってみると、ここは大人も遊べる公園ですね。(画像の無断転載を禁ず)
「続いてる、学校・公園、ひとつでふたつ」
【解説】
密度の高い市街地で広場を確保するために工夫されたのが、校庭と公園を隣り合わせに作るという取り組みでした。
*幅跳びの話が出たので、本日はもう一札。元町小学校の校庭と元町公園は隣り合わせにあり、ひと繋がりの機能をもっていました。小学生達は、緑豊かで広々した校庭を使えたのですね。向かって右側の彼。人相が悪く見えるけれど、実は公園の「階段顔」なのです・・・。
(画像の無断転載を禁ず)
「幅跳びヨ。今日の体育は公園で。」
【解説】
昭和44年に元町小学校の走り幅跳びの授業に使うようにコースが造られました。今も踏切板が残っています。
*踏切板がある、何とも不思議な砂場だと思ってました。授業用とは関係なく、勝手に幅跳びして遊んでました。なるほど、本当にそれ用だったのですね。
*「走り幅跳び」という種目が、小学生のわたしにとって初めてオリンピックを身近に感じることができる競技でした。金メダル選手になった気分で大空に手を振り上げて跳んだものです。
(画像の無断転載を禁ず)
「ヌッとそびえる鷲の像、富士の夕映えにらみます。」
【解説】
かつては浮世絵にも描かれた台地からの富士への眺望。ビルに遮られる今でも鷲の姿から偲ぶことができます。
*私の幼少の記憶では、残念ながらすでに富士山は見えませんでした。皆さんの頃はいかがでしたか? 鷲の視線の先には、富士がみえるのか、はたまた元町公園の未来がみえるのか。
(画像の無断転載を禁ず)
以前よりご案内していました「元町公園ぱぱっとかるた」、担当の亀です。
これから、徒然なるままに「本日の一札」をご紹介していきたいと思います。白濱雅也さんのイラストで、ほっと一息、和みながら、公園の事を知ってくださいね。どうぞよろしく。