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2006年08月18日

文京区による元町公園都市計画変更について ‐都市計画審議会後の一考察

(この記事は、樋渡達也氏のご協力によってつくられています。)


0.はじめに 
 平成18年7月26日に開催された文京区都市計画審議会(会長は戸沼幸市早大名誉教授)は、文京区が区立元町公園を移設し、体育館を建設する問題について 「今の段階では懸案について賛否をとる状況でない」 と判断し、継続審議を決めた。
 元町公園は震災復興小公園52箇所のうち唯一原型をとどめている公園であり、昭和50年代にその歴史的価値を文京区が認めて復原的整備がおこなわれた経緯のある公園でもあるため、当日の審議は多くの人々の注目を集めていた。

 文京区が提出した今回の都市計画変更の案によれば、この提案はつぎの理由に基づくものとされている。
? 『文京区都市マスタープラン』 (平成8年7月策定)で緑のネットワーク形成をうたった。
? 『文京区緑の基本計画』 (平成11年3月策定)で本地域は緑化重点地区とした。
?本公園は小石川後楽園・東京ドーム・聖堂をむすぶ緑の軸に面している。
?本公園を隣の小学校跡地に移すことにより、誰でも利用しやすい地域に開かれた公園として整備し、防災機能を備えた公園とするとともに、区有地の有効活用と公共施設の適正な配置を図るものである。
?このことにより、緑のネットワークづくりに寄与するとともに、公園の適正な配置を行い、街区公園として区民の厚生に資するものとする。

 しかしながら、審議会の争点は上記の文面には盛られていない 「元町公園の文化的価値」の有無 に集中した。審議会委員である鹿倉泰祐区議の発言を報道した新聞記事によれば 「文京区の文化財保護審議会に議論をかけてほしい。きちんとした見解をもらわないと議論に入れない。」 とある。また、梶島邦江委員(埼玉大学教授)は 「景観という観点からの審議も必要。景観審議会で景観の意義について話し合って欲しい」 といわれたとある。

1.「文化」について 
 今回の都市計画審議会の争点となった 「文化」 についていえば、平成14年12月の閣議は 『文化芸術の振興に関する基本的方針』 を決定した。そこでは、「国民の生活に密着した文化的所産を保護の対象にする」ことが明言され、このことが平成16年5月の文化財保護法の一部改正につながっている。
 この文脈のなかで東京都は史跡等整備検討委員会を設けた。この委員会からは平成16年3月に報告書が提出されているが、そこでは 「近代遺産の保護が急務」 であるとして 「近代の都市計画に基づく公園を登載する」 こととして、具体的には、名勝の部の 1.公園・庭園 において 「詳細調査を実施すべき物件」 の第一として元町公園を上げている。  
 文京区の行政は、このことへの考慮が全く欠落しているといえよう。加えて言うならば、文化庁文化部監修の 『月刊文化財』平成18年4月号 には、文化庁の名勝担当者の論文として 「(今後名勝として指定検討をすべき物件のひとつとして)大正12年の復興を契機として開設された公園」 を上げている現在であることを、文京区はどのように考慮したのであろうか。
 本年4月、国は広島平和公園の平和記念資料館を、戦後建設された建築としては初めて、重要文化財に指定した。近代文化遺産へのまなざしは、すでにそこまで来ている。言葉を変えれば、今保護しなければ永久に失われてしまう近代遺産についての危機感が国をはじめ東京都においてもたかまっているという時代の文脈への配慮が、なされていたかについて大いなる疑問を抱かざるを得ない。

2.「ネットワークづくり」と「公園の適正配置」について
 付議案件の理由にある、今回の位置変更に伴う「ネットワークづくり」と「公園の適正な配置」についても考察してみよう。
文京区では既述の通り、各種の計画を策定し、また東京都とも連携してオープンスペースの事業を展開している。
 東京都が現在展開している 「緑にかかわる計画」 でいうならば次の計画が挙げられよう。
? 『東京らしいみどりをつくる新戦略』 (平成15年10月策定):「東京らしいみどりのかたち」を「物的形態」と「みどりに重ねた人々の営みのかたち」から創出しようというもの。
? 『みどりの新戦略ガイドプラン』 (平成18年1月策定):?の事業誘導施策となるガイドプランで、道路・河川・公園などと都市のみどりづくりを一体にとらえて、「環境軸」のネットワークにより良好な都市環境を形成しようとするもの。
? 『都市計画公園・緑地の整備方針』 (平成18年3月策定):現在決定されている都市計画公園・緑地を、今後いかに計画的・効率的に整備促進するかについて「都市計画公園・緑地の整備方針合同策定検討会議(東京都・特別区・市町)」によりつくられた整備方針。   
   
 では、これらの計画において、元町公園がどのように評価され位置づけられているか。
? 『東京らしいみどりのかたちをつくる新戦略』 においては、文京区は「センターコア再生ゾーン」に含まれており、テーマは
「ア 都市開発にあわせたみどり豊で快適な空間の形成」
「イ 河川沿いや台地上の神社等の緑による連続性の確保(神田川沿い等の台地周辺)」
「ウ 親水性のある緑のオープンスペースの確保」

であって、添付された図面によれば元町公園は拠点のひとつとしてプロットされている。特に、台地の端部の既存樹林の保全が重要である、とされていることがわかる。 
? 『みどりの新戦略ガイドプラン』 が提案する 「環境軸」 は、 「河川のみず」 「それに沿った既存のみどり」 「街づくりにより生み出されるみどり」 などの集積効果を誘導して住みよい都市環境を形成しようとするもので、台地の端部である元町公園の高木等によって構成される既存の樹林がもつ「存在価値」は、きわめて大きいはずである。 
? 『都市計画公園・緑地の整備方針』 は公園整備重要度を具体的に示している。文京区については、次の通りである。
 1 重点化を図るべき公園
  みどりの拠点や軸となるもので、「緑の基本計画」等に位置づけられたもの。
    近隣公園 水道端公園
    総合公園 豊島が丘公園
    風致公園 江戸川公園
 2 重点公園(2015年までに優先的整備をおこなう公園)
    文京区はなし。

 以上の東京都による広域的観点から元町公園にもとめられているものは、次の二点に要約されよう。

●「台地端部の既存樹林の存在価値」を活かした「神田川のみどりのネットワーク形成」への寄与。
●「台地端部の既存樹林の景観保全」による「風格あるみどりの都心回廊形成」への寄与。

 したがって、今回審議されようとした都市計画変更の理由にある「みどりのネットワークへの寄与」と「公園の適正な配置」が公園の位置変更により生み出される、という論理は、それ以前の議論や計画の本位に基づかない荒唐無稽なものであるといっても過言ではなかろう。

3.「景観」について
 梶島邦江委員が指摘した 「景観」 について、もう少し検討を加えておこう。
 景観法 が成立したのは平成16年である。文京区の都市マスタープランが策定されて8年後に制定されたものである。いかに先見性ある計画といえども、その後のこのような時代思潮の変化をも読み得ていた、といえるであろうか。
 この法律によりわが国ではじめて景観を正面からとらえた法律が出来た。 景観法 では、国民・事業者・行政の責務が明確となり、国土交通省・文部省・農林水産省など国土の景観にかかわる省庁が境の垣根を低くして生まれた画期的な法律である。そして、この法律を中心となって使うのは地方自治体である。

 神田川沿いの景観計画にはいくつもの自治体が関連するのはいうまでもない。そのため、東京都では東京都景観条例に基づく 『神田川景観基本軸計画』 をすでに指定して広域的視点からの景観の連続性を重視した施策を展開してきた。この川筋の景観には江戸以来の人々の生活が色濃く染み込んでいるのが特長である。元町公園の立地は、徳川時代の掘割掘削で生まれた人工の台地端であるが、この場所は、すでに江戸名所図会の 『水道橋 神田上水懸樋』 で明らかなように、自然と人工の妙なる共鳴の風景として有名であった。さらに、近代以降のいわゆるモダン時代には名橋・聖(ひじり)橋が風景を引き立て、いまやN.フォスターが設計した超高層建築(現、(株)加賀電子社屋)も、プラスとマイナス両面で景観に大きく関与している。
 このような歴史の積層した景観においては、それに対応する樹木はそれなりの年輪と風格を必要とする。小石川後楽園の緑、元町公園の緑、神田川沿いの緑、聖堂の緑はそれにふさわしい資格を持っているというべきであろう。例えば、区立総合体育館が入るとされている共同事業者による高層建築物(想定)は、元町公園の既存樹林を切らずに果たしておこなえるのであろうか。
答えは 「最新技術を使えば移植が可能です。」 ということになろう。
であるならば、東京駅丸の内口のロータリーで亭々と茂っていたあのイチョウがいまJRの苗圃でどのような姿になっているかを見てくるがいい。植物学的にはイチョウであっても、もはや風景としてはイチョウではなくなっている。


4.結語
 PFI事業によって実現させようという体育館の計画は、都市におけるこのような様々な文脈の中で 「いかに共存するか」 「できるのか」 から検討すべきではなかろうか。 体育館と公園の一体整備 をうたう以上は必須であろう。現在の地域施設の計画において 「自然軸」 「空間軸」 「生活軸」 「歴史軸」 による多面的な地域の文脈解読は不可欠であり、今回はそれに 「文化財軸」 が大きく参画してきたといわなければならない。これらの解読は、技術者集団のみでは不可能かもしれない。
 文京区が昭和57年に、すでに進んでいた公園改造計画(今見ると今回の提案内容によく似ている)をあえて止めて、復原整備へと転換したのは、芳賀徹氏(元東京大学教授、現京都造形芸術大学学長)の新聞コラムがきっかけであった。文化史家の鋭敏な感性と観察眼による指摘が、この公園の復原を、すでに進んでいた設計作業を中断してまで誘導したのである。
 
 以上のように、この問題は都市計画技術や文化財保護技術だけで解決できる問題ではない。深く未来を洞察できる叡知を集めての検討が必要であろう。
19世紀、ラスキンは著書 『建築の七燈』 のなかで 「過去は未来をつくるためにある」 といった。そして 「われわれは、そのためにも(優れた)建築は残していかなければならない」 と説いた。今、私たちの前には、ラスキンの言葉がある。