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2006年12月11日

「歴史公園100選」 再び:文京区はこの顕彰をきちんと広報してください

10月27日に、元町公園が 「日本の歴史公園100選」(以下「歴史公園100選」) のひとつに選ばれた喜ばしいニュースは既にこのブログでお伝えいたしましたし、また、うれしいことに、口コミでも広まりつつあります。
しかし、しかし、何ともやるせないのは、この顕彰に対する文京区の姿勢。

「歴史公園100選」 のニュースを知る人のあいだでは、当日の朝日新聞の取材に対して、みどり公園課課長が 「区が推薦した公園が選ばれなかったのは残念だ」 という何ともとんちんかんなコメントを呈した話が有名ですが、それはさておき、文京区はその後も、元町公園がこの栄誉ある選定を受けたことを、無視し続けています。

区のホームページ内のみどり公園課の頁にも、ひとことも触れられていません。100選に認定された公園を所有・管理している文京区以外の自治体等では、おおいにめでたき誉れ高いこととして喧伝しているのと大違いです。
この 「歴史公園100選」 という催しは、日本に都市公園法という法律が誕生して50年を祝うために企画されたもので、これまでの半世紀を振り返りつつ、苦労して創り出し、そして育くんでてきた公園を次の世代に大切に伝えていこうという熱い志にあふれた意義深いイベントです。
「歴史公園100選」 に選ばれた公園には、10月27日づけで 「選定証」 が贈られています。
そこには、「この公園が末永く地域の人々に愛され誇りとされ続けることを祈念いたします」 と記されています。
大変不安に思うのですが、その言葉にこたえるつもりがないから、わたしたちに知らせしてくださらないのでしょうか。

一人の区民が、「記念の賞状のようなものをもらっているはずですよね。せっかくだから見たいわ~」と、シビックセンターに尋ねて行きました。でも、それがどんなもので、どこにあるのかわかりません。結局、2階の行政情報センターで 「情報公開請求」 をかけて、ようやく見せてもらえたそうです。
メダルとかトロフィーではありませんでしたが、「選定証」 は、ちゃんと届いていました。でも、驚いたことにその 「選定証」 が、彼女の目の前に現れるまでに一時間以上も待たされたのだそうです。
せっかくもらった 「選定証」、 どこにポイしたかわからなくなってしまう位に、いいかげんに扱われていたのか。それとも、大事に大事に金庫にしまってあったから出してくるのが大変だったのでしょうか。

「歴史公園100選」 がこのように 「ないがしろ」 にされている一方で、「関東の富士見100景」(主催:国土交通省関東地方整備局、平成16年2月~17年3月募集)は、破格?の扱いです。シビックセンター展望ラウンジからの眺めがこの100景に選ばれたことは、文京区のホームページ内の 計画調整課 の頁に行けば、カラー写真で見ることができます(日付は何と 「歴史公園100選」 選定の4日後の10月31日!というのも皮肉なものです)。
計画調整課は、この100景を 「関東地方で富士山の眺めが良い場所」 とのみ解説していますが、この企画の目的とするところ等くわしいことは、国土交通省関東地方整備局 のサイトで、じっくりご確認くださいませ。
http://www.ktr.mlit.go.jp/kyoku/region/fuji100/guide.htm

文京区の面々は、元町公園の歴史性・文化財 「的」 価値は認めているとおっしゃりながら、「歴史公園100選」 認定を、どうして、区報などを通じて区民に広報してくださらないのでしょうか。
わたしは、「次の区報には載るだろう」、「次こそは・・・」 と思い、ずっと静かに待ってきました。
でも、12月10日号にも載っていませんでした。
次の区報の発行日は、25日です。
都市計画審議会(22日)の前に、載せていただけなかったことで、文京区の行政をつかさどる方々には、やはり、元町公園の大切さをほんとうに考えている人はいないのだということが、よ~くわかりました。
残念です。
これでは、次回都計審でどんな説明をされようとも、あいかわらず信用できません。たいへんに、たいへんに遺憾なことです。
「ふるさと歴史館だより」廃棄・二度刷り隠蔽事件」 のときと同じで、元町公園の価値を明確に示すものを意図的にわたしたちの目にふれないようにしているとしか考えられません。

(余談:「歴史公園100選」の主催団体の 日本公園緑地協会 だって 国土交通省 が所管する社団法人なのに、文京区ってまったく厚顔。)


苦言が過ぎましたかな? そんなことありませんよね。