« 新聞記事 | メイン | 7月26日都市計画審議会傍聴、報告! »

2006年07月29日

24年前のきょう

 元町公園は昭和の終わり頃、開園当初の姿に敬意を表しつつ、バリアフリーの斜路をつけ加えるなど、日常の使い勝手に配慮した小粋な「復原」的整備が施されています。この仕事のきっかけとなったのは、新聞の小さなコラムでした。

 朝日新聞に「日記から」というコラムを持っていた芳賀 徹(はが とおる)東大教授(当時)は、24年前のきょう(1982年7月29日)、次のように書いています。

 
「 去年から『文化としての都市景観』という研究会をつづけている。樋口忠彦、陣内秀信という景観工学や建築史の俊秀、それに小木新造さんと私という人文畑が加わって、計4人の小チーム。いまは大正大震災から戦前昭和の東京が主題である。随時いろんな専門家が馳せ参じてくれる。
 原田勝正氏の話で、新宿駅で中央線が山手線と同ホームに並ぶようになっているのは、経費より乗客の便を先行させた大正デモクラシーのあらわれという。いまもその便にあずかる私たちは、なるほどとうなる。
 戦前から長く東京の都市計画にたずさわった前島康彦氏の話によると、震災前の東京には22の公園しかなかった。それが、震災後にはわずか7年間に、いっぺんに55にふえた。そのうち52は900坪平均の小公園だが、すべて地域の小学校校庭と隣接させて造られたという。
 防災と都市美と地域民生のための、なんと巧みなアイデア。しかもそれら小公園はみな設計が異なり、当時のドイツの雑誌をお手本にして、抜群にモダンなものだったという。その設計図が日比谷に残っているというので、調べようと思っていたら、この間の研究会で陣内さんに全部報告されてしまった。
 戦後、これらの公園は、都から区に管轄が移された。とたんにめちゃくちゃになって、いまは見るかげもないという。ただ一つ残ったのは本郷元町公園。今日、私は自転車でその小公園を訪ね、しばし木かげのベンチで昭和モダニズムの夢にひたった。」