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2007年11月03日

残したい震災復興小公園:江戸東京博物館友の会会報No.40より

江戸東京博物館友の会会報の最新号(No.40)に、記事が!

なになに、どれどれと拝読いたしました。

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残したい震災復興小公園 

 今夏の猛暑。都心はヒートアイランド現象が発生しました。高層ビルの建設ラッシュで「環境にやさしい」とは言えないまちづくりへの警告なのかもしれません。
 さて、江戸博では7月24日から9月9日まで、「生誕150周年記念・後藤新平展」が開催されていました。展示されていた建物模型の中で、文京区に住んでいる私にとって興味深かったのは「元町公園と旧元町小学校」でした。

(中略)

その前で「こんな所で母校に会えるなんて・・・」と思い出話をする女性や、「40年前にこのブランコで遊んだものだ」という男性など、テレビや新聞などで報道された存廃問題の行く末を案じるかのように、懐かしそうに模型を見つめる人たちに出会いました。
 小学校と隣接してつくられたこの公園は、後藤新平をはじめとする先進的な人々が知恵を絞って、防災と罹災者救護を目的とし、平時には近所の子供たちが遊び・学ぶ場所として、公園を小学校に一体化させるというアイデアを実現させたものだったのです。
 『江戸名所図会』にも描かれたここからの展望は、当時は富士山や秩父の山々も一望できたといわれます。また、南の神田川の渓谷(仙台濠)は、中国の景勝にちなんで「小赤壁」とも呼ばれ、「うるおい、やすらぎ、風格」のあるすばらしい景観です。そうしたこともあって、この元町公園は昨年、国土交通省や日本公演緑地協会などが選定した「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。
 後藤新平や当時の担当者たちは、おそらく100年後の東京の姿を考えていろいろな事業を行ったのでしょうが、まさかヒートアイランドや地球温暖化なんてことは思いもしなかったでしょう。その「まさか!」の時代にふたたび彼らの発送が生き返って、東京都の「10年後の東京計画」の中では「水と緑のまちづくり」がうたわれるようになりました。震災遺産として貴重な小学校校舎と公園は、これからも地域の核として守られなければならないと強く思ったことでした。