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2007年06月03日

元町って?:「ぶんきょうの町名由来」(文京区教育委員会)昭和56年編より

ふるい町名にはまちの歴史が刻まれています。
元町公園のある、旧元町について「ぶんきょうの町名由来」(文京区教育委員会)昭和56年編から抜粋してご紹介いたします。
             
■ 元町一、二丁目
 徳川家康の江戸入りに従って三河から来た者が、初め神田橋外にいたが、慶長年中(1596-1615)三河町及び駿河台辺に土地を与えられた。同じ頃元町から神田川岸の辺は、御弓同心の組屋敷であった。その後この組屋敷は大塚辺に移された。そこで、三河町あたりの者たちは、場所が御城に近く、多年聞き慣れた太鼓の響きが気になり、少しでも遠い所と、元町辺が空き地となったので、幕府に願ってここに移転した。時に元禄四年(1691)であった。元禄九年町屋を開いたが、その場所は昔本郷村に属し、この辺の拝領地としては、最も早いほうなので元町と名づけたという。古くは四か町に分かれ、又南北に分けて上町下町と称した。
 明治二年(1869)東西に分けて上町を一丁目とし、下町を二丁目とした。同五年、高松藩松平氏邸及び付近を合併し、東を一丁目、西を二丁目と改称した。明治四十四年本郷をとり元町とした。
 現昭和第一高校の前の神田川に、神田上水の懸け樋が通って、江戸っ子に飲料水を送った。それで近くに橋に水道橋の名がついた。